先日、山の恵みと題して書いた記事で熊にあったことを書きました。そして熊の事を書くと言いましたが、
まー目標設定するとあれこれ考えすぎてショートしたっていうw。ダメなんですね、昔から課題を出されると答えられるのだけど、自分で企画とか立てると収集がつかなくなってダメになる。
それで乱文になるけど、整理がつかないままザックリ書いていこうと思います。でなければ無理だという事がわかったw。
春の作業してるときに、東野幸治さんの幻ラジオを聞いていたんですが、NHKで北海道の知床の漁師と熊の関係を話していました。そして熊に会ったらデカイ声を出せばいいんだなーって言っていてちょっと笑ったんですが、その直後に子熊を連れたメスグマに遭遇してびっくりしました。まぁ、遠かったので大丈夫でしたし、お互いの存在は前から確認していたので、メスグマも、子熊を連れて慌てて沢の中に消えて行きました。
それでNHKで漁師と熊が一緒の場所に生存していて大声で叱れば、熊が大人しく引き下がるという件、他のラジオでもその番組を見た人が熊を見たら大声で言えばいいんじゃないかと言っていたんですが、
はっきり言ってそれはやめておいた方がいい。つーか熊に遭遇した際にアドバイスなんて今やないかなw。
率直に言ってわからない事ばかりだけど、猟師と彼らとは高い水準でコミュニケーションがとれる域に達してるという事。共に暮らしてる訳だし、危害を加えないというのがわかってるから。
いきなり大声出したら、そら向かってきますよね。人間だってそうだと思います。いきなり大声だされたら、カッと頭にくると思う。
それにアウトドアや登山をやるようになって、ゴミを捨てる、放置する人が増えたわけです。弁当の残りとかね。それに熊や野生動物がありつくと、今度は美味しい物を持ってると思って人間に近づいてくる。
昔 鐘というか鈴を使って登山してる人が沢山いましたし、それが熊や野生動物に警戒を教える合図だったのですが、もはやそれを必ずつけてくださいとは決して言えない。ゴミとして捨てた物を食べた野生動物は、人を追ってきますから、鈴の音そのものがおびき寄せる事になる。事実、三年くらい前に登山していて熊に追われて頂上でヘリコプターで救われるという事が地元の山でも起きました。
まだ自然の中に住んでる俺とかは、こいつらは牛を襲ったりしない、熊からしてみると、この人間は私たちを殺したりしないとわかってるから大丈夫なわけです。そして、トラクターだったら大丈夫だけど、猟師は軽トラ乗ってるから危険だ、とかそういう事も熊は記憶してるので、熊も安全な人とそうでない人という棲み分けはしています。
だけど知らない人ならやはり警戒します。
そしてシャンプーとかね、ボディーソープとか自然界ではない匂いをかもしだしてる人ってのは、危険度5段階とするならMAX 5に該当するかな。
人間社会ならいい匂いでも、自然界ではそうではないし、コンクリートジャングルで通用することが自然というジャングルで通用するかと言ったら、ほとんど通用しないと言っていいと思います。
あと死んだふりすれば良いという迷信がありますが、熊は死肉も食べるので、全然意味ないと思うw。
このようにアドバイスにならないアドバイスをしてるけどw、本州だったら熊よりイノシシの方が怖いでしょうね。猪突猛進と言いますが、マジで突っ込んできます。そしてぶつかった瞬間に、牙を跳ね上げて肉を裂いて、動けなくする、あるいは動脈を切って出血多量を狙ってきます。
古事記で有名な人物の1人にヤマトタケルというのがいますが、最後に彼は山の神のイノシシに突っ込まれ、呆気なく死ぬんですが、多分本当にそれらしい事があったんだと思います。
ここから大真面目に話をしますが、先ほど言ったゴミを散らかしたり、野生動物に餌をやったりして、実はどんどんイノシシをはじめ、どんどん人里に降りてきてる傾向がある。
ハッキリ言って山でドングリとかの実を食べるよりも、人間の食べてる物のほうが数倍美味いし、栄養価も高いんですね。
それがわかると、健康になるし、繁殖、つまり子供の産む数が倍に産むことができる。少なくともイノシシは倍以上の数は産むでしょう。
そしてどんどん人里に降りて来て、田んぼを荒らし、人里に住みつくようになる。そして数を増やし中心部に行くようになる。
先日、東京の荒川で鹿が出たらしいですが、捕まえた鹿を殺処分すると知った人たちからクレームがかなりきたとニュースで知りました。ただこれから鹿はドンドン増えて中心部まで行くようになるでしょう。
野生動物がどんどん増えて、人の密集地帯、つまり都会に入り込むようになったらどうなるか。車、電車の事故は多くなるし、農作物被害だけではなく、人やペットに対しての被害も多くなるでしょう。
そして危害を加える動物としてイノシシや鹿などはほとんど虐殺されるのではないかと懸念します。
命は平等だと言う人は沢山います。
愛護、保護が大事だと言うのも、よく理解できるけど、命は皆、平等だと言う論調は危険だと思う。
野生動物とペットの境界線はどこにあるのか?車や電車に乗ってて鹿と衝突事故があって自分が怪我をしたり、網戸をぶち破り、イノシシがペットを捕食対象としたら飼い主である人は、どう思うのか。
人の密集地帯に行けば、野生動物の運命は絶滅の方向へといっていまう可能性が高い。だから気をつけなければならないし、かなり危険な傾向に日本はなってると思います。
前も書きましたが、人間が生態系のピラミッドの頂点にいるという考えからして間違いで、最弱の方だという事を認識するべきだと思う。
地球は、内部にマグマを溜め込み風呂のように溜まりに溜まったら、地上で噴火をして流れ出します。そして噴煙は地球上を覆い尽くして太陽光を遮断して冷やしてやがて氷河期になります。これを全球凍結といいますが、やがて再びマグマが溜まり、噴火をして氷河を溶かして地殻変動を起こしながら大陸を形成していくと。
深海に生きる生物、カブトガニやシーラカンスなどはほとんど姿、形を変えないで生きてきてますが、地上に生きる生物は、その環境になんとか適応しようとあの手この手を使って姿、形を変えながら生きてきてます。
つまり仮に一億年後、地球が存在していたとして、人間が同じ姿でいるということはほとんどないんじゃないかなと思う。
仮に太陽がくしゃみのような爆発をしてオゾン層が薄くなったりしたら、それだけで紫外線は強くなり、目や皮膚はやられてしまうでしょう。そうしたら目で物を見るのを諦めて、匂いや気配で相手や物を感知するような形態になるんじゃないかと思います。それを進化というかは置いといて、順応していかなければならない。
しかし劣悪といえば劣悪ですが、深海生物は氷河期の影響もそれほどなく、姿、形を変えずに一億年後も生きてる可能性はあると思います。
つまり、深海で生きられない生物が地上に上がり、あるいは地震、津波や災害などで地上に住む事になった生物がほとんどだという側面が大きい。
なにを持って強いかというかによるけど、少なくとも生物学的に言えば、地上に生きる生物は常に絶滅危惧種なるしw、環境変化にによって他の生物に駆逐される可能性だってある。
サピエンス全史という本を読みました。オススメする本ですが、人間は物語を作りたがるという説には実に共感するところがあった。
ある種ペットを飼う、アベンジャーズとかそういうスーパーヒーローものの映画やドラマ、漫画を見るって行為は宗教行為に近いと思う。
サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]
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神様のような大きな存在まではいらないけど、ちょっとした天使というか、そういう存在はいて欲しい。ちょっと小生意気で、世話がかかるけど、可愛くて、優しくていつも隣にいてくれる存在、それがペットという概念だと思うし、天使ってそんな感じじゃないかなと思う。
スーパーヒーローもそうですよね。ある種、わかりやすい神様であり、天使であり、ペットに近い存在っていうか。スパイダーマン見て、これ別に犬とか猫がヒーロー役やってもあんまり違和感ないかも、とボーッと思いながら見てました。
宗教という神話、物語の広まる大きなきっかけは誕生と死後の世界を啓示した事だと思います。
ある種そのストーリーをペットやスーパーヒーローとか時計だとか車に見るというかな。価値観を吊り上げる事で、なんつーかストーリーを神聖化しようとするというかな。ちょっとごちゃごちゃしてきたw。
でも神聖化したり、価値観を吊り上げても、多くの場合、自然や宇宙には全く通用しないことの方が多い。
話を元に戻すと、愛護、保護政策はとても大切なことです。しかし環境、気候、それを踏まえて考えていかないといけない。動物も人間も平等で同等の権利があるという論調は、とても大切だけど同時に単調で、生態系という観点で考えてみるとそぐわない事が多々ある。
温暖化だからこそ哺乳類を始め多くの命が芽生えた。しかし同時に白熊や雷鳥など、氷河期に適応能力を備えた生物は絶滅寸前になっていく。だが今度、氷河期になったら温暖化で命を育んできた生物は、死滅か海に生きる活路を見出そうとし、白熊や雷鳥、オオカミという生物は絶滅寸前だったけと爆発的に増えていきます。
これが地球のサイクルです。
常に矛盾をはらみながら地球は回っています。その自然の大きさと厳しさに、あるいは宇宙の深さと広さに人智が及ぼす影響はそんなにない。
自然や宇宙を、倫理と言えばいいか、観念と言えばいいかもうごちゃごちゃしてわからないけどw、そういう概念で世界を語る事は、海の水をおわんですくうようなものではないかと思います。到底、すくいきれる事はありません。
愛護、保護政策は先程も言った通り大事なことです。しかし最低限、地球の構造やサイクルは頭に入れておいて欲しいし、温暖化、氷河期といったサイクルの中で数を増やす生物、減る生物はあるという事、そして人間は決して生態系のピラミッドの頂点にいるわけではないという事を認識して欲しいと思うんですね。
最弱だから虐殺行為を行うのだけど、それは改善できます。動物虐殺、特に古代は酷かったんだけど、んー現代もそうか。でも温暖化傾向、共に減少傾向であるし、コロナショックで尚、環境対策に人類はよりチカラを入れていくでしょう。それはとても良い事だと思います。
答えは一つでないこと。自然も宇宙も複雑で多様な空間です。自然の森を例に挙げてみます。
まず固い地盤に笹や竹が生えます。そういう所を彼らは好み、増え続けます。しかし広範囲に広がり続け隅々まで行き渡ると、生命力は弱くなって来る。わかりやすく言えば、マンションが立ち並び、高層ビルが建てられ続け、だんだん下町の風景は失われて住みづらくなる感じかな。
そして再開発が行われるわけです。森で言えば、笹や竹の勢力は弱まるけど、今度は白樺や針葉樹林が勢力を拡大してくる。笹や竹が固い地盤に根を張り、土壌を柔らかくするからです。そして針葉樹林が形成されつつあるけど、水を吸い上げるために細く伸びてしまい、密集すると光は入らなくなり、台風などで一気に折れたりしてしまう。
そしてその状態から広葉樹が生えてきて、笹や竹や針葉樹や広葉樹が入り乱れながらお互い絶滅しないように、牽制し合いながらも、ひしめき合って、動物が住み着き、より多様化することによって森は作られます。
生き残るためには単一の種だけでは無理で、様々な存在と共存しあいながら社会を空間を作りあげていく。
これを絶対といいます。
絶対とは答えが一つということではないんですね。絶対の反対言葉は相対ですが、そもそも答えは一つという考え方自体が何かと比べて一つということなので、絶対とは遠い価値観になります。
現代社会は、多くのプロセスをはぶいてしまう。食べ物がどんな過程で作られているか、車や工場用品がどんなふうに作られているか、多くを知らずに生活をしています。そして思考はどうしても最短ルートで答えを出そうとしてしまう。
答えは一つとか。わかりやすいキャッチフレーズで、人の心を掌握しがちだけど、もっと自然も宇宙も豊かです。ま、農家やってると自然に打ちのめされることが多いけどw。
個人的にこれからの100年は、人類にとって、最も大事な100年になると思う。人類にとっても環境にとっても、300年、500年後の地球の環境を決定づける事になるんじゃないかなと思います。
二万五千年くらい前に、人類は群れからはぐれたオオカミを飼い、番犬とし、野生動物から襲われる事が少なくなり、睡眠を深く取る事で脳が大きく変化します。
そして狩猟技術があがり、食欲を満たしつつ、子孫を増やし続けます。睡眠欲、食欲、性欲の三大欲求のサイクルが回り始めます。
それは弱肉強食の世界では、弱者同士が生き残るために選んだ共存関係の始まりだったと思う。コロナショックであらためて生物、地球史の観点で考えた時に、オオカミというか犬と結託していなかったら人類はどうなったのかなと考えてしまう。
ちなみに獣医さんに数人に犬と共存関係してなかったらどう思うと聞いたら、みんな、人類?絶滅しててんじゃないっすか〜、ま〜生きててもそんな文明作るとかなかったんじゃないっすかね〜って言ってましたw。まー、そうだろうな〜w。
そんな訳でザックリと書いたけど、熊の話題はどこへやらw。変な不時着したけど、少しでも理解してくれれば嬉しいかな。
自然という宇宙の、惑星同士が惹かれ、牽制しあい、その周回が植物の成長過程に宿り、それをつぶさに見届けながら自然の懐(ふところ)で暮らす者から、遠くて近い人達へ。
ザックリ書くって2時間以上かかってやんの。ダッサ〜。