一週間前の台風崩れの強風で、丘の上の木が倒れた。かつてここには4本の木が立っていたが、15年前の台風で三本の木は先に倒れていた。
いつかは倒れる事はわかっていた。必ず倒れるだろうと。そしてその日の朝の5時に強風が吹きさらす中で丘を見ると、まだ立っていた。
しかし6時にまた見てみるとその時は倒れていた。さっきまで立っていたのに、、と思いながら声にならないうめき声をあげ、耳元で叫び声をあげてすり抜けていく強風を恨みつつ、忘れようと努めた。
忘れるという事が無理だという事は、俺が1番わかっていた。
星空を撮りたいとデジカメを買い、試し撮りかつ、見れる写真として撮ったのはこの木だった。
祖父はキリスト教の牧師をやっていた。太平洋戦争中、牧師の傍ら中学校の先生をやっていた。国のために死ねというのが謳われる中で、生きて帰ってきなさいと説いたために、特高警察に連行されて周囲からも一時期白い目で見られたと話しで聞いていた。
その祖父が毎日といっていいほど、丘の上で、この木々の場所で祈りを捧げていた。戦争で人生を狂わされ、キリスト教に人生を捧げ、頑固で孫の俺からしてみると、窒息してしまうくらい硬い存在であったが、夕焼け時に祈りを捧げてる姿は、いまだに目の裏に焼きついている。
木が倒れる前日の写真。夕焼けが印象的で、仕事で忙しかったが、サッと撮った一枚だ。
これが最後の写真。
フランクオーシャンを聴いていた。pink+whiteを聴きながら、夕焼けに想いを馳せて口ずさんだ。
コントロールできない事はある/もし空がピンクと白に染まっているなら/君が教えてくれた通りさ/頷くんだ、何が起きても目を閉じてはいけない
目は閉じてはいけない。