鬼滅の刃の映画が大ヒットしてますね。これから寒くなるとコロナがまた感染拡大するから、どうなるかわかりませんが、まだまだヒットするんでしょう。
鬼滅の刃の漫画は読んでました。
漫画好きといえばそうなのかな。
鬼滅の刃の作者は相当リサーチした上で描いているなと思っていましたが、ここまでヒットするのは驚きだし、未だに不思議。かなり残酷描写がのっけからあるから、よくみんな見れるなと思いました。
アニメは4話くらい見たけど、驚きましたね、今のアニメって昔のアニメと違ってクオリティが高いな、と思いました。
ただ音楽が好きになれず笑、やめました。映像は凄いのに、旧来のアニメと変わらない音楽の使い方を踏襲してるところが苦手。
ま、なんつーか個人的には映画館まで行くほど観たいとは思わないけど、ここ最近の漫画ではダントツでよかったです。
おそらく興味ない人の方が多いと思うし、俺が鬼滅の刃見てる、好きだというのが意外に思うかもしれませんが笑、深掘りして書いてみると興味のない人も納得する部分があると思います。
ストーリーのネタバレはしないように書きますが、本質的な部分でネタバレになると思うので、まだ単行本を追いかけてる人とかは気をつけて読んでください。
まず鬼がいますね。これは人間の願望/欲望を具現化した者と感じました。欲望というのを細かく分けると主に3つありますね。財産、権力、永久の命。
お金がたらふくあって、不自由のない暮らしをして権力を駆使してわがままし放題。そしてそれがずっと続いて永久的に生きていられれば。
それが鬼の存在で、なかなかこの願望は日の目を見る事ができませんね。
そして鬼は暗闇の中でしか生きていけず、太陽の下では死んでしまうと。しかし夜では首を切らない限り、再生して生きていけるという事です。願望もまたそんな感じですよね笑
それに対して鬼殺隊は、家族とかがそんな願望の犠牲になり、弱きを助け貧しくとも清く美しく生きて、人間として死を受け入れ、次世代に繋げていくという事を理想としているところが大きな特徴です。
つまり永久に生きたい願望と、儚くとも次世代に繋げて死んでいくという夢、願望と夢をわかりやすく対比、対決させてるわけです。
そしてこの鬼滅の刃では、煩悩をいかに断ち切るか、が最大のテーマになっていると思いました。
三大宗教に限らずですが、例えばイスラーム、キリスト教、仏教では欲望のまま生きる事を良しとしませんね。皆がそんな風に生きると破滅してしまうので、戒律をひきます。なんでも1人で独占はさせないようにして、欲望を捨てて協調しあって生きるという事が通底にあるわけです。
他にも鬼滅の刃に関連してると思われるところで言えばヨーガ、ヨガですね。様々なポーズをとり、呼吸を整えつつ煩悩を捨て去り、仏教のいう無我の境地に突入するといえばいいのかな。
煩悩を捨て去るために肉体と呼吸を意識する。
呼吸法。鬼滅の刃では鬼を倒すために、水、炎、風など、それぞれの流派で呼吸法があります。それを体得する事によって通常の倍以上のチカラで鬼を倒していくと。
これはネタバレになるので書きませんが、技とかデザインとかがストーリーを補完してるし、本当に細部に至るまでこだわっている。特に仏教を相当勉強してるんだろうな、と思いました。
先程、無我の境地と書きましたが、パッと説明すると紀元前500年前に釈迦(シャカ)はあまりに貧富の差が拡大して死にゆく人々が多く、この世は地獄、苦行が過ぎると感じました。
バラモン教では輪廻転生という概念があり、死んでもまた違う人生を歩むということになっていますが、貧しく生まれた者は繰り返し貧しいまま苦行を受けると考え、そこから脱するにはどうしたらいいかと考えます。
そんで例えば水は、雪にも雲にもなるわけですね。
どれが本当の姿かと言えばどれも本当の姿でどれも本当の姿ではないわけです。
では人間はどうか?人間も肉と骨と神経と臓器などが合わさった複合体なわけです。
つまり本当の姿と言えば本当のだけど複合体だからどれも本当ではないと考えました。では自分とは?自我とは?存在してるけど存在せず、この自我を超越した所に無我の境地があると考えたわけです。はい笑。
そんで釈迦はヨーガとかやったりしつつ、悟りに至るわけですが、現代のヨガは禅と結びついたりして当時のヨガとはかなり違うみたいです。
鬼滅の刃にはそういった思想/哲学的な部分を、この世界観を伝えたいんだなと感じました。仏教のお坊さんは布教活動に使えると思いますよ笑。
興味ない人は、配信やテレビアニメをやってるのに、映画化する必要があるのか?配信、テレビでやるべきで、映画作って金を取るというのは、あまりに汚くないか?という疑問を持ってる人もいると思います。
ま、個人的にはこの鬼滅の刃の場合は映画化はアリだなと思います。
フジテレビのドラマを映画化する必要はないけど笑。
今回の映画化は列車での出来事が中心となっています。
列車は時代そのもの。時代という箱が真っ暗な世界を走って行くなかで、乗客は戸惑い、鬼に誘惑されつつ、主人公達は戦いを繰り広げるわけですね。
そして列車という時間が止まり、決闘を経て朝を迎える時に、何が照らされるのか。
少しネタバレになると思いますから、まだ映画、原作は読んでない方で嫌であればここでやめてください。
個人的に1番感心したのは、この戦いにおいて、鬼が鬼殺隊の隊長の1人を誘惑します。能力が高いのだから、鬼になれと。鬼になればさらに強くなり、一生生きていく事ができると言うのですが、隊長はそれを断るわけです。
ここで手塚治虫や宮崎駿さんなら、歴史や人々の事を例えるのではないかと思います。天空の城ラピュタではラストのほうで飛行石をよこせと悪役が言いますね。それに対して女の子は色々言うわけです。
もうすっかり忘れましたが笑。
ナウシカもそういうシーンがあったような気がします。
でもこの鬼滅の刃の作者は違っていて、隊長が鬼にならない大きな理由は、病弱な母親が幼い時にあなたは弱い人を助けなさい、と言われていたからなんです。
鬼にならない理由は歴史や思想を用いて断るのでなく、母親が言っていたから。ここに凄い感心したんですね。
世界的に見れば男尊女卑が支配してる社会構造ではある。でも生物として男性、女性を比較した時、女性の方が寿命は長く、ストレスにも強く、なにより子供も産める。子供を産めるから女性はエライという事を言いたいのではありません。勿論、様々な事情があります。
ただ、あるドキュメンタリーを見たのだけど、戦争で死にゆく子供や青年の多くは、神様や国の事など言わず、多くは母親の助けを求めて死んでゆくと言っていたのが印象的でした。
つまり鬼滅の刃では、女性というのは絶対的な存在、全ての源としていて、神様や人類の歴史を語らずに母親の教えだから、と言うのはとても原始的だし、リアルだなと感じました。
ま、男性はどちらかと言えば、社会構造を作る歯車、消耗品みたいなもんだ、と言った方が早いかな笑
本来ならば宮崎駿さんとかの手法というか、歴史や人々の想いを喋らせた方がウケは良いのではないかと思うけど、この展開に作者のブレなさと言えばいいのかな、そこにえらく感心しました。
とまぁ、現段階でで大きくネタバレすることなく書けることは書いたけど、まだまだたくさんあります。でも最終的に帰結するところは、主人公の竈門炭治郎カマドタンジロウと妹の禰豆子という名前かな。
竈門とはおそらく炭を作る窯(カマ)の事ではないか、と思います。
そこに原料になる薪を入れて、ゆっくり燃やして炭になると。
炭をつくるには、かなり熟練な技術が必要みたいですが、原料の薪そのものは人間の人生に例える事ができますね。
同じ窯という世界/社会の中で、それぞれが命を燃やし、やがて死んで消えてしまうが、炭という結晶体は残ると。それはまた燃えて次世代に対しての生きていく教え/啓示にもなるわけです。
主人公の炭治郎はとても優しくて人の想いに溢れている人物像です。つまり炭治郎という存在は教え/啓示を具現化した存在なんだろうと思うし、それは作者の想いを具現化した存在と言っていいのではないかと思いました。
残念ながらキャラクター人気投票では4位らしいのですが笑
禰豆子は鬼になるけど、節分の日の豆まきから鬼を出て行けって事で名前の由来がきてるのかなと思います。禰は珍しい字ですよね。大正時代設定だけど、よく使われていたのかな?
あと多分関係ないと思うけど、三国志の曹植の七歩詩からきてるのかな?とも思いました。曹植は魏という国の王家の息子で、後継者争いに巻き込まれます。文才でもあった曹植は父親の曹操に可愛いがれ、長男の曹丕は嫉妬します。そして曹植にお前が文才なら七歩歩くうちに詩を読んでみろと言われます。
今ならフリースタイルのラップですよね笑。
そして曹植は兄弟を豆に例えるんですね。豆殻を燃やし、豆を窯(カマ)で煮る、お互い同じ根から生まれてきたというのに、何故こんなに争うのか、という詩を披露します。まぁ、これは伝説の一部なので本当かわかりませんが。もしかして禰豆子は窯で煮る豆や豆殻といった事柄も由来からきてるのかなとは思いました。多分違うと思うけど。
というわけで映画館に行かないくせに笑、長々と書きましたが、本当に細かい部分にまでこだわった作品です。勿論残酷な描写もあるので、読めとは言いません。ちょっとでも参考になればと思い書きました。
最後に実写化の話があるみたいですが、俺は率直に実写化はやめといた方がいいと思いますね。今のテレビなんて感動ポルノの域を脱するような作品なんて作れやしないって、と思ったりします笑。
というわけで今回はここまで。ありがとうございます🙌🙌🙌