再び二股駅に訪れて列車を待つ。キハなら良いのだけど。そんな事を思いながら、15分ほど撮影した。
もう少しブラブラと散策しようかなと思ったけど、大掛かりな除雪作業をしていたので、諦めて、駅の隣にあった廃屋を集中的に撮った。
廃屋を撮ってから、列車が来るのを待つ。
うーーーむ。この車体。ちょっとな〜笑。キハだったら今度脚立ハシゴとか持ってきて撮影するんだけど、これだとちょっと撮影する気が。都会ならいざ知らず、自然の中を走る列車となると風景に溶け込まないというかな。
長万部の国道を走りながら、最後に海辺を撮影する。波の音が響き、風が凍てついていてすぐに頭が痛くなった。雪が積もった浜辺に波が押し寄せて、浜辺には波と雪の色合いができていた。
寒さで感情そのものが消えていく。まとっている鎧そのものが剥がされていき、普段、気にかからない空や風に耳をかたむける。
凍てついた風の中を飛んでいくカモメがやけに魅力的に感じた。
雪と砂浜の境目に、凍りかけた水分に砂が付着していた。触るとそれは柔らかくすぐに形が崩れた。
頭の中で車の中で聞いていたoneohtrixpointneverのambien1という曲が流れた。
https://open.spotify.com/track/0ypbAyBENb0aeGbsCeSGCt?si=QV84HeG3Qpeuo40LfirTJA
たどたどしいメロディーが波と一緒に重なる。波となって流された水が凍えながら形作られていく。しかしそれに触れると形は崩れていく。
しばらく木に座って、漂流して打ち上がったオレンジのウキを見ていた。
人間は集合体だ。肉や骨、神経や内臓、それらが合わさった集合体。そんな集合体を一人称で呼ぶ矛盾。
そしてウイルスや菌を取りこみ免疫を作り、細胞もそれに合わせ順応していく。
人間のその一つ一つを解きほぐしていくと一体何が残るのか。
オレンジのウキ玉が、自分に見えた。浮いて、漂流し、砂浜に流れ着いた。
俺の見てる世界とは。俺の感じてる世界とは。
中身がなく、浮いてるだけというのは虚しい事なのだろうか。
俺はあまりそう感じない。むしろその方が楽だ。
人は生きることに意味を持たせ鎧を着込み、年月が経てばそれだけ自分の歴史と意義を正当化して維持していこうとする。
だが寒空の下で、感情が凍てついた風とともに吹き飛んでいき、着込んだ鎧が身ぐるみ剥がされていくと、残るのはポッカリと浮かぶウキ玉それだけだ。それをどれだけの人が見たことがあるのか。
打ち震えながら見て、歩きながらまた鎧を着る。
車に乗ってwoven songかける。あの映像のように。
祈りを打ち上げる。空っぽのウキ玉でも、祈りは打ち上げられて、夢を見ることはできる。
それだけでも風景の見方は変わってくる。
車を走らせた。