昨日は牛の出産があって朝の3時まで起きていた。無事に出産が終わった時にはヘロヘロだった。
外に出ると月があまりに綺麗だったので写真を撮った。
思わず雪の上に寝そべって、目を閉じた。とても冷たい空気が美味しかった。月明かりが雪の上で最後の光を放つ。
起き上がり月を見ながら、フランクオーシャンのジークフリードを聞いた。
https://open.spotify.com/track/1BViPjTT585XAhkUUrkts0?si=ll9jy2kURTqSl6DlP5bNCA
フランクオーシャンはLGBTQ+だ。この歌でフランクは夢を見る。自分にはこの世界は地獄だから。常に男であり続ける事を強要される。
2人の子供とプール付きの家。そしてゆったりと楽しく毎日暮らす。それは一般的な人々の夢だけど、それはLGBTQにとってはできない事だ。
そういう社会的通念と呼べるような、世界から抜け出したい、その外側で生きていきたい、これは俺の人生ではないと歌う。
LGBTQ+としての価値観は捨てられない。彼は恋人や友人と別れ、ドラッグをやって夢を見る。そこでは自分のあるべき姿を夢で見れる。そして神の光が与えられる。
夢を見てあるべき姿を夢を見る。
この曲を聞いた時に、宮沢賢治を思い出した。彼もまた夢を見てあるべき姿を夢見たからだ。
賢治は幼少の時から母親にヒトのために生きなさい、人のために何かしなさいと言われて育つ。そして賢治は仏教に救いを求め、のめりこむが、突然の妹の死に絶望しつつ、葬儀の仕方で父親と対立して葬儀に参列できなくなる。
さらに妹の遺骨を分骨することになり、仏教で人々に幸せを導きたいと願っているのに、身内すら不幸にしてしまって、賢治は嘆く。
そしてその後悔の念を一つの物語にしたのが、銀河鉄道の夜だ。
父親は遠洋漁業に行って家を留守にし、病気がちの母親を気遣いながら、日銭を稼ぐためにジョバンニは学校帰りに毎日働く。ある日、牛乳が配達されてないことに気づいたジョバンニは街へ行くが、明日まで待ってくれと言われた挙げ句、ケンタウロス の星祭りで浮かれている友人達と出会い、馬鹿にされてしまう。
ジョバンニは自分の境遇が嫌になり、丘で1人寂しく星空を眺めていると、星が光り輝き近づいてくると思ったらいつの間にか列車の中にいる。
そこには友人のカムパネルラが座っていて、2人で様々な人や物を見ながらどんな人間になりたいか話し合う。
賢治は物語の中で、ジョバンニとカムパネルラを通して、つまり夢の中でも夢を見させて、あるべき姿を想像させる。
やがて列車は多くの人を乗せて走るが、南十字星で皆が降りて石炭袋、暗黒星雲に入る頃にカムパネルラもいつのまにか消えて、ジョバンニは丘の上に戻っている。
ジョバンニは街に行って悲しい報告を聞き、しかし父親が遠洋漁業から帰ってくると知って牛乳を片手に母親の元に帰る。
賢治は地元岩手の花巻に流れてる北上川で鉱石を発掘していた手前、その鉱石を参考にしつつ天の川/milkywayと北上川を合わせ、そしてジョバンニが牛乳を取りに行って帰ってくる道のり、milkywayを引っ掛けて物語を展開している。
そして父親と断絶した状態を、ここでは仲直りしたい意志を物語に盛り込んでいる。
天の川を見ると、フランクオーシャンのこの歌と、賢治の事を思い出す。
実際に暗黒星雲はあってそこで列車から降りて母親の元に帰るのだけど、フランクオーシャンの歌うも最後はこう歌う。
月から光りが滑るように放たれるのが見える。闇の中でね。
闇の中で。
あなたのためならなんでもする。闇の中でも、あなたのためなら、なんでもするんだ。
アルテミスは月の神でもあり、闇の神とも同一視されている。そしてかつての全能の神、クロノスの子供ケイローン にとっては母親でもある。
母なる光りに照らされ、フランクオーシャンは誓う。あなたのためならなんでもする、と。
賢治もまた、母親の元に牛乳を持って行く所で話が終わるのだけど、同じ気持ちだろう。
繊細さが重なったかのような光りが雪原に広がっていた。もうまもなく朝になる。東から眩しいオレンジ色の光りが1日を導く。
家に帰ってソファに寝そべり、もう一度月明かりに満ちたジークフリードの曲を聞いて、浅い眠りについた。