写真、自然、音楽、科学、が趣味

生活の風景

音楽、写真、日常を切り取る感じで。

154.グラントリノからみる映画史

 

 

エヴァンゲリオンの劇場版を見ました。

 

 

宇宙戦艦ヤマトウルトラマンなどオマージュ=おまじない、を通して過去の特撮を含めた美術の技巧、シンメトリー/左右対称やフィボナッチ の黄金比率などこれでもかと映像に乗っけて、通過儀礼/儀式を果たして立体的な戦闘シーンを通して新たな地点にこの映画は到達させたなと感じました。

 

エヴァを通して市川崑の芸術性に尋常じゃないくらい惹きつけられてるのだな、と感じていましたが、見事に昇華した上で新たな地点に辿りついてるし、このエヴァを通して映画/美術に生きる庵野秀明にとって新たな地点に到達する事が絶対条件だったのではないか、と思うくらい美術は素晴らしかったです。

このあとにスターウォーズの戦闘シーンは見れないですねw。それくらい差がついてるし、写真が趣味な人は是非見てもらいたいと思いました。ストーリーに関しては、Q以上は求められないので、不可もなくといった感じでした。というか色々と感じた事がありましたが、まずは見てもらいたいのでテレビ放映とかする時に書けたらなと思います。

 

以前、140.エヴァンゲリオンの見た感想というのを記事にしました。庵野秀明監督が影響を受けたであろう市川崑監督の過去、そして妻の由美子夫人と和田夏十という名義で共同脚本をしていた事など、エヴァンゲリオンの人物と照らし合わせるとこんな感じになるという事を、ザッと書きました。

 

市川崑作品は妻の由美子夫人がいたからこそ素晴らしかったが、癌によって由美子夫人が亡くなったあとの作品はその輝きは失せてしまった。美術の観点から市川崑作品に多大な影響を受けていた庵野秀明は大きな喪失感と無力感を感じてしまい、それがエヴァのQに色濃く出ている、そして市川崑作品や周辺の人々を知っていると、ゲンドウ、シンジ、綾波レイやアスカといったキャラクターと照らし合わせて相関図ができてしまうという事を書きました。

 

 

あくまでエヴァの映画しか見たことがない自分の感想なので、推測があってるかどうかはわからないけど、興味がある方はこちらをご覧ください。

 

https://moonpix.hatenablog.jp/entry/2021/05/02/230030

 

 

それで自分の好きな映画をこれから色々と書いていこうと思っています。

歴史が大好きで、お気に入りのポッドキャストの番組、コテンラジオさんは仕事しながらよく聞いてるのですが、Spotify限定でもやっていて、手塚治虫のエピソードを聞き終えました。とても良かった。

それであらためてもう一度アメリカ史を聞きなおしていたら、番外編でグラントリノの事を語っていたので、このグラントリノから映画史を振り返ると映画においても世界においても最重要な1ページが振り返られるし、クリントイーストウッドの映画の向き合い方となぜグラントリノを製作しようと思ったかわかるし、相当面白いと思うので書いてみようと思いました。

 

あらかじめ注意点を書いておくと、グラントリノのストーリーのネタバレはしませんが、なぜクリントイーストウッドはこの映画を作ろうと思ったかを深掘りして書くので、本質的なネタバレはします。

そしてイーストウッドが影響を受けた映画を書く際に、どうしてもあらすじを書かなければなりません。

黒澤明の生きると七人の侍という映画はネタバレするのでご了承ください。

 

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さてクリントイーストウッドは最初ジャズピアニストとして成功を収める事を夢に見てました。実際にシアトルではクインシージョーンズと交流があったみたいですが、諦めて俳優の道を進みます。そしてある時、イタリアで作られる西部劇、通称マカロニ/スパゲティウエスタン、荒野の用心棒に出て一躍有名になります。

そのウエスタンは黒澤明用心棒をモチーフにした映画でした。イーストウッドはそこで三船敏郎の役を演じる事になるんですね。

 

そしてこれがきっかけでイメージが固定化されてスターの階段を登ると同時に、ある贖罪の意識にもかられてしまうのです。

 

グラントリノという映画は、その三船敏郎然として、そのイメージが固定化して生きてきた事に決着/ケリををつけ、贖罪を果たすという側面がある映画なのです。

 

ここで黒澤明三船敏郎の関係を簡単に説明しておきたいと思います。黒澤明は実は三船敏郎を通して人間の成長段階を描いてきたんですね。

 

酔いどれ天使という映画では三船敏郎はチンピラのボス役で、野良犬という映画では新人の刑事、そして七人の侍では侍になりたがっている百姓、村人を守る役を演じて、天国と地獄では会社の重役で人々を導く役を演じ、最終的に赤ひげでは医者の役を演じて人々を癒す役を演じてます。

 

チンピラから始まり人々を癒す医者を演じる。人間として成長段階を黒澤明は描いたわけです。

 

 

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グラントリノのストーリーは頑固なじーさんが息子とはうまくいかず隣に引っ越してきたアジア人と交流を果たして、人間的に成長していく物語なわけです。つまりグラントリノは、イーストウッドは自分の人生と黒澤明×三船敏郎コンビの映画を重ねつつストーリーを展開していってるんですね。そしてさらにもう一つ大きなトピックがあって、この酔いどれ天使、野良犬、羅生門七人の侍などで上司役として、悟す役としていたのが志村喬/シムラタカシです。

この志村喬の代表作ともいえる作品が、黒澤明監督で作られた生きるという映画です。

グラントリノはこの生きるという作品を下敷きにしてる部分があるんですね。

 

生きるというコメディ映画のあらすじを書きたいと思います。

 

 

 

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役所勤めの渡辺はある日病院に行き、がんの末期を宣告されます。あまりに唐突なことに途方に暮れ、息子に告げようとしますが、食い違いが生じて聞いてもらえず彷徨います。そしてある日、役所で働いていた若い女性に出会います。

その女性は靴下も買うお金がないけど、戦争は終わり、爆弾がもう落ちてこない日々を天真爛漫に生きている。

役所という場所は、何もしない事以外は過激行為という名ゼリフが劇中で菊池実が言いますが、見て見ぬふりをして問題をたらい回しにするような、組織の、あるいは社会の典型的な人であった渡辺は、彼女に強く惹かれつきまといます。

最初は美味しい物を奢ってくれるじーさんだと女性も喜ぶのですが、やがてウザったくなり、二階建ての大きな喫茶店でもうやめて欲しいと言います。

何もしてこなかった渡辺は、絶望し打ちひしがれるのですが、ハッとして、俺にもやる事があると気づき、喫茶店の階段を駆け降りて行きます。

この時に隣の席では学生の団体がいて、バースデーパーティーを催そうとしていました。誕生日を迎える学生が来るのを今か今かと待っていて、その子が来た時にバースデーソングを大合唱します。

そしてバースデーソングを大合唱してる最中に渡辺が、死にゆく者がまるで生まれ変わったかのように階段を駆け降りていき、生を謳歌してる若者が階段を駆け上がっていく。そんなストーリーです。

 

グラントリノのストーリーでは、息子夫婦とのすれ違い、誕生日会、階段などがうまくモチーフにされてます。そしてイーストウッドの演技も節々で志村喬さんのあのぬるりとした気持ち悪い演技を参考にしてるところがあるように感じられます。冷凍庫を運ぶシーンとかは、ニヤッとさせられます。それに女性役もどことなく生きるに出ていた小田切みきに似ています。

 

つまりグラントリノでは強さとはなにか、血縁関係でもなくても人種が違っても友情は成立するのか、などがテーマになっていますが、裏ではイーストウッドは明確なメッセージを残しているんですね。

 

それは三船敏郎然として生きてきた俺が、これからは上司として存在した志村喬のポジションにいって、生き様を見せるという事です。まー、メッセージではないか。なんというかそういう構成がしっかりと組み込まれているという事ですね。

 

ここでこぼれ話になりますが、三船敏郎の人間の成長物語で最後に医者になって人々と癒す役を演じるのですが、ジョージルーカスはさらにそこからステップアップした役を演じさせようと思って三船敏郎に依頼しました。

スターウォーズのオビワンケノービ役です。オビワンケノービは神のチカラを宿すジェダイの騎士です。オビワンは若きジェダイの騎士になりうるルークスカイウォーカーを、若き者を導く者として存在しています。

つまりルーカスは人々を癒す役をやった三船敏郎を、神格化したポジションにして人々を導く役をやって欲しいと思ったんですね。

残念ながらそれは叶いませんでしたが、ジョージルーカスにしても三船敏郎黒澤明という存在がどれだけ大きな存在だったかがわかる事例だと思います。まぁそれでも黒澤明隠し砦と三悪人をモチーフにしてるのは間違いないですよね。

姫さまを中心として国を建て直すというストーリーはスターウォーズにも当てはまるし、菊池実がC3POである事は間違いないですね笑。

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もう一つ補足というかな、生きるという作品をモチーフにして最近作られた作品があります。それはブレードランナー 2049 です。

先ほど書いた誕生日、階段のシーンがあるし、叶わない恋愛に主人公の生き方や雪の印象的なシーンなど類似点が多いですね。生きるは恋愛物語ではないですけど、いずれにせよ生きるという作品を見た後にこのブレードランナー 2049 を見るとラストが味わい深いものになると思います。

ま、もともとブレードランナー 黒澤明の野良犬をモチーフにしてますが笑。

 

 

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2.黒澤明作品について

 

グラントリノ三船敏郎から志村喬へ、という構成が組み込まれている事を書きましたが、ではここで黒澤明作品を振り返る事でよりクリントイーストウッドや映画の歴史がわかってくるので書いてみたいと思いますが、戦前から振り返るとあまりに長くなるので今回は大枠でどんな流れがあったか書いていきたいと思います。

 

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で、その前に少し当時の背景を書きたいと思います。太平洋戦争が終わった当時、唯一の娯楽が映画だったのですが、やがて戦後復興しながら朝鮮戦争による特需によって終戦後、1945年には800館しかなかった映画館が1954年には5000館まで建てられます。

そして日本経済は駅近くに映画館が建てられ、その周りにデパートができたりして大きく経済が動いていくんですね。

 

 

 

いかに映画がチカラを持っていたかという事なのですが、それによって土地の値段も高騰して不動産でも儲けるという実体もあります。終戦後はGHQが日本を統治します。映画の世界にもGHQの検閲が入るのですが、基本的に暴力描写はダメでしたし、戦争中に時代劇を使って国威発揚をしていた事もあって時代劇も作るのが禁止されていたんですね。仇討ちものも多かったので、アメリカに対して仇討ち感情も高まるのを恐れていたところもあったみたいです。

 

映画といえば時代劇、それが大正末期から当たり前のように製作側も見る側もあったのですが、それが作られないし、映画館はできてるのに、時代劇がないというのは相当ストレスがあったと思います。

 

あと今は吉本だとかジャニーズだとかそれぞれの事務所にスターや有名タレントがいますが、この時は松竹、東宝東映大映と映画会社ごとに専属のスターがいて、そのスターを中心に映画が製作される体制だったんですね。

そしていよいよ1950年代になって時代劇が作られる事になります。ここから時代劇を中心として三船敏郎、通称ヨロキンこと萬屋錦之助よろずやきんのすけ、市川雷蔵勝新太郎というスターを中心に日本映画は発展して、世界中にも多大な影響を与えていくのです。

 

個人的にはこの中では萬錦が好きなんです。子連れ狼をはじめ反逆児、武士道残酷物語そして宮本武蔵など大好きな時代劇ばかりです。

あー萬錦語りたい笑。

 

 

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それは置いといてここから黒澤明作品を振り返りつつ世界中に、イーストウッドにどう影響与えていったかを書いていきたいと思います。

戦後、黒澤明は我が青春悔なしという作品と、素晴らしき日曜日という映画を作ります。これからは女性の時代だよというメッセージ性のある映画です。特に素晴らしき日曜日のエンディングは初めて見た時は面食らいました。

戦争が終わって、何気ない日常の尊さを描きながら、これからは明るい未来を想像しようという作品です。とても大好きな作品なのですが、この作品を撮ってる最中に東宝の撮影所に撮影助手として応募してきたのが三船敏郎なんですね。

 

ただこの時に東宝側は三船敏郎のハンサムな写真を見て俳優志望と勘違いしてしまったのです。そしてこの行き違いで三船敏郎は断って帰ろうとするのですが、気に入ったオーディションの選考委員が、このオーディションを受けてくれと言います。

 

渋々受けて、なんだか凄い奴がオーディションに来ているということを知った黒澤明はオーディションに行くのですが、この時に三船敏郎を見た黒澤明は衝撃が走るんですね。

 

洋服も和服も似合う。日本人離れした顔立ちがハンサムであるし、ヒゲをたくわえれば野性味ある役も演じられる。身長も高い。そして初めて演技をして照れているのを隠そうとする姿も可愛いらしい。

黒澤は完全に惚れたんだと思います。そして女性向けやラブストーリーの映画を2本作っていたのですが、ここからハリウッド、世界に負けない娯楽大作を作るんだと一気に舵を切りかえる事になります。

 

 

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そして酔いどれ天使、野良犬などで三船敏郎は野性味あふれる役を演じます。大きな反響を得て、次に羅生門という映画を作ります。

ここで日本、世界にとってもヒューマンドラマを題材にした映画では重要な存在になる橋本忍が脚本家として採用されます。

 

そしてヴェネツィアで金獅子賞を受賞して一躍有名になります。これで日本の映画は国際的に注目を浴び、日本も世界を意識して作る事になっていきます。

日本にとっても世界の映画史にとってもこれは大きな事でした。

 

そして生きるというコメディ作品が作られ国内、海外で大きな反響を得て、いよいよ黒澤明の全盛期に突入していきます。これから黒澤明の製作する映画は、世界にとっても大きい事でした。それは日本の時代劇の解禁から始まるんですね。

 

映画会社も大衆も大正から映画といえば時代劇でしたから、ここに来て遂に時代劇が作られる、観れると期待が高まり大映東映、松竹、そして東宝は資金をふんだんに使って映画製作をしていく事になります。

特に東宝労働争議という、会社上層部と労働組合が労働環境問題でストライキがあったりして、映画製作がストップしていた状態でした。

この間に東宝系列の映画館は東映に貸していたのですが、ようやく労働争議も妥結していよいよ映画製作、それもヒットが見込める時代劇で会社を一気に復興させようと目論んでいました。

そして会社の立て直しと同時に、大衆に新しい東宝をアピールするために多額の予算をかけ、世界的な名声を得ている黒澤明に作品を託す事になるのです。それが七人の侍なんですね。

そしてもう一本製作される映画があります。子供連れのファミリー層にも受ける映画をという事で、ゴジラが作られるわけです。志村おじさんは大忙しです。

 

東映以外の映画会社は子供向けの映画は製作されていませんでした。邪道と思われていたんですね。しかし新興映画会社だった、新しく作られた映画会社だった東映は上映する場所もなく、さらに借金も多額だったので文芸、芸術作品など作られるわけもなくて、子供向け、ファミリー層向けに映画が製作されていくわけです。

質より量、それも子供が毎週見に来てくれるように、ストーリー途中で終わって続きはまた来週みたいな展開で金を稼いでいくわけです。

 

ま、これがスターウォーズ三部作とかになっていくわけですが。

 

そして東映の2枚目俳優を起用して子供の母親のハートを掴みつつ笑、子供が夢中になるようなアクション喜劇で大ヒットするわけです。それは今でも東映の理念になってると思うし、子供の親のハートを掴みつつ子供も観れるシリーズを作るというのはここから来ています。他の映画会社もファミリー層を意識して、東宝はそれでファミリー層向けにゴジラを製作するというわけです。

 

3.七人の侍によってもたらされた変革

 

 

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1).黒澤明の撮影技

満を辞して七人の侍が作られるのですが、面白いけど、何がそんなにすごいのかわからないというのが、今の人達の感想になるのではないかと思います。少なくとも俺はそうでした。

しかし歴史的な背景と製作環境を理解するとよりこの作品の破壊力がわかると思います。

 

まず撮影環境と撮影方法なのですが、

一言で言うならば誰もが嫌がる方法で撮影してるという事に尽きると思います笑。

 

例えば西部劇なんかは土煙が舞うような、雨の降らない場所で撮影するわけです。ハリウッドなんかはカルフォルニアですからあまり雨は降らないわけですね。しかも今では防塵防滴/ぼうじんぼうてき、というホコリにも水に濡れても大丈夫なようにカメラもレンズも作られているけど当時はなかったはずです。そしてカメラのバッテリーは大きいし、下手に濡れたら引火する可能性もあります。

 

何よりスマホで雨を撮影してもらえばわかると思いますが、雨は写らないんですね。よほどの土砂降りでない限り、雨は写らない。

 

七人の侍では土砂降りの中で合戦が繰り広げます。よほどスタッフが水を用意して放水したのだと思います。まー過酷ですよね、これ。冬にも撮影してますから。スタッフも俳優も。

 

雨を効果的に使ったり自然現象を巧みに主人公や人々の心理として重ねて描く、例えば大雨を使って心が泣いているとか、太陽を映してどこに行っても逃れられないとか、そういう表現方法を確立して芸術的な段階に映画はステージを上げていく事になるし、黒澤明はそういった面で、映画というものを総合芸術として押し上げたとても大きな存在だったのは間違いないと思います。勿論、全て彼がやったわけではないですが、もともと画家志望だった彼の表現方法は、他の映画監督とは視点が違っていたのは確かだと思う。

 

写真が趣味で見ていると、乱という作品なんかつくづく絵画的発想だなと思うし、生きるという作品も写真を撮る人ならブランコではなく公園を見渡せるベンチに主人公を座らせて撮るのではないかとか考えます。

 

ま、黒澤に言われる側は相当大変だったろうと思います笑

 

 

 

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撮影方法も俺ならボイコットする笑。

俺も写真が趣味でこうやってブログをやっているのだけど、映画を見るときはやはりどういう風に撮影してるのか、とか構図がとても気になります。そして黒澤明は本当にあり得ないなと思う笑。

まず黒澤明は望遠レンズで撮影しているんです。三船敏郎をはじめ俳優の顔のアップのシーンを撮りたいからだと思うのですが、普通のレンズだとかなり近くで撮影しなければいけなくなります。そうするとアクションが死んでしまうから迫力があるシーンが撮れないわけです。だから遠くから望遠レンズで撮影するのですが、皆さんも経験があると思いますが、スマホで遠くからアップで撮影するとピンボケしてしまいがちだと思うんですね。

これは構造上、仕方ない事なのです。だからそうならないように、照明を盛大につけて周りを明るくしてピンボケしないように撮影するわけです。これが日中なら太陽の明かりもあるからいいですが、撮影が長引いて夕方になるとか、曇りとかになると照明の調整が難しいんですね。しかもデジタルと違ってフイルムだと撮ったものをその場で見返す事はできないから、一枚の写真ならまだしも一本の映画だと映像のトーンといえばいいか、暗かったり明るかったりしたらダメなわけです。

さらに例えば暴れん坊将軍水戸黄門を見ればわかりますが、

基本的に主人公はあまり動かずに敵役が動いて斬りかかり、それをバサバサ斬っていくのが基本なんですね。

これは海外のアクションなんかもそうなんですが、何故かといえば、なるべくピンボケさせない為です。今のスマホでも動いてく人に自動で焦点を合わせてピンボケをふせいでくれたりしますが、当時はそんな自動で焦点を合わせる機能なんてありません。全て手動で調整します。

だから主人公が動かずに敵役が動いて斬りかかるわけです。

しかし黒澤明は違う笑。三船や俳優が動いて斬りかかるんですね。だからピンボケしがちな状況を作っているし、しかも遠くから望遠を覗いて撮影してるから雨の撮影とかはよく見えない事もあったろうから相当大変だったろうなと思います。そしてフイルムですから見返すことができません。苦労は今の何十倍もあったろうな、と察します。

 

 

 

このように撮影方法と撮影環境ではこんな感じです。多分海外の映画制作してる人達はビックリしたと思います。

 

なんだこれ、雨の中撮影してんぞ、どうやって雨を映してんだ?まさか放水してんのか?このアップはどうやって撮ってんだ?まさか望遠レンズで撮ってんのか?どんだけ照明つけてんだ?おいおい火事になるぞ?あー、雨を使ってこういう表現の仕方があったかなるほどな〜、でもこんなの監督が俺らに要求してきたらたまったもんじゃねーぞ、って思う人はいたと思います笑。

 

 

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2).娯楽性と社会風刺

 

七人の侍の見所はなんといってもそのストーリーだと思います。娯楽性のあるストーリーに

痛烈な社会風刺が盛り込まれています。

 

農民が農村を野盗から守るために侍に助けを求め、七人の侍がその助けに応じながら、やがて身分を越えてお互い助け合いながら野盗と戦うというストーリーです。

一見、人間に身分なんて関係ない、共に戦い、共に生きようという美談めいたストーリーに見えますが、そうではないんですね。

 

農民は国民/大衆そのもの。何もしない事以外は過激行為と知らぬ存ぜぬで何かあっても見て見ぬふりをする。そういう国民だから、そういう社会だから太平洋戦争になったのだし、たくさんの犠牲者が出たのではないかと突きつけてきます。

では何故、そんなに見て見ぬフリをし、ビクビク怯えながら他人の目を気にするように生きるように大衆はなったのか。それは侍が戦って大衆の生活をボロボロにするからです。

そして別に七人の侍も一人の若き侍以外は、村人のために戦うという風に思っていないんですね。

世界的に見ても夏から秋は食べ物を収穫する時期ですから、国、地域で争い事をする事はないんですね。収穫が終わってから戦/いくさをしようか、という流れがありました。

 

一人を除いて6人の侍は来たる争い事で殊勲をあげて、あわよくばどこかの殿様に召し抱えてもらおうという腹づもりなんですね。

侍社会も武士道とか綺麗事を言いますが、食えなければ背に腹は変えられない、現代の事情と察して変わらないということです。

そして秋まで農民が飯を食わせてくれる。この一件が終わるまで食いっぱぐれる事はないし、それに志村喬演じる勘兵衛という頼り甲斐がある男がいるから、この男の指示に従っていれば死ぬ確率も少なくなるのではないか、と考えているわけです。

 

お互い相容れない同士だけど、物語は進み、最後はどうなるか。という事なんですね。

 

徹底した構成があって物語は進みますから当然、合戦の時はリアルな戦いになる。雨の中泥まみれになりながら、1人また1人倒れて死んでいく。

三船敏郎は髭面/ヒゲヅラで汗をたらし泥まみれになりながら走りまくる。

こんな映画はなかったんですね。

 

 

あらためて見てみると、見えない所から銃声が撃たれるシーンとかは実際に戦争体験に基づいたものなのだろうな、と思います。この時スタッフや橋本忍なんかも戦争に行ってますから、やはり体験が盛り込まれていると思います。三船敏郎も特攻隊の記録係をやってましたから、みんな知ってるんだと思います。

 

 

 

ロマンス主流かちょっとした特撮映画はあったけど、基本的に美男美女が甘い物語をするのが一般的な映画文化だったんですね。

そこに泥まみれの人間が生命力あふれるままありったけにスクリーンの中を縦横無尽に走りまくったわけです。

 

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ちなみにこちらが1954年に作られたハリウッド映画です。

ヒッチコックは二本上映されてるんですね。ボックスセットが欲しい笑。

まー今は美男美女なんて言い方はよくないと思うけど、やっぱりこういうポスターからも潮流が読み取れるかなと思います。

 

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ま全然違いますよね笑。三船敏郎の汚い顔に比べてこの時代の潮流映画とは笑。

 

 

いよいよ時代劇を待ち望んだ大衆は、見た事もないこの映画に度肝を抜かれました。

勧善懲悪よろしくチャンチャンバラバラやるのがチャンバラ映画だけど、これはなんだ?チャンバラ映画と言っていいのか?とても衝撃だったと思います。

 

海外でもこの娯楽性と社会風刺が同時にコインの裏表のようになった映画に驚き、天候や自然の事象を巧みに芸術的な表現として昇華させてる作品にただただ感嘆したと思います。

 

そしてこの映画を見たらもう勧善懲悪な一辺倒な物語やロマンス映画は、子供じみていて作ってられない、見てられないと一気に映画を見る水準が上がったと思います。

 

 

この映画公開は1954年でした。アメリカで公開されたのは1956年、2年後でした。ちょうどマーティンルーサーキング牧師を中心とした公民権運動がうねりをあげて活発化されてくる時代でした。この運動によってさらに人権意識がより高まるのですが、この時に上映されたのが七人の侍だったんですね。

この映画がどれだけ影響を与えたかはわかりませんが、この時代、あらゆるものが変わりつつあったのかもしれません。

スパイクリーは1990年の音楽雑誌にブルースリー黒澤明七人の侍にはとても影響を受けて、俺やブラックカルチャーに大きな影響を与えていると答えているのはとても印象に残っています。

それがきっかけで黒澤明に興味を持ちました。

実際、彼の映画には黒澤明の遺伝子側強く見受けられます。

 

1956年に公開されてこの物語に取り憑かれたのはスパイクリーだけでなく、スピルバーグ、ジョージルーカス、マーティンスコセッシ、フランシスコッポラ、そしてクリントイーストウッドが挙げられます。

彼らやロバートデニーロやアルパチーノなど多くの名優達もこの映画を見て、新世代が動き出していきます。

 

そして黒澤明の快進撃は続き、時代劇ではこの後、立て続けに傑作を出して、作る側も見る側も見る水準が一気に上がり、時代を変えていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

次回に続く。

 

 

参考文献

 

あかんやつら 東映京都撮影所血風録 (文春文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/B01N0NO8SV/ref=cm_sw_r_cp_api_glt_6Z41X319TSR3S9V72Y6P