子供は海で漁師が使うウキを見つけた。自分にあれをとってきてと言い、海を歩いてウキを取りにいった。漂い続けてようやく砂浜に辿り着こうとしたウキを、子供はまた海に戻そうとする。
子供は真剣だ。どうやったら戻せるか、何度も何度も繰り返す。その光景を見ながら子供は海にウキがあるのを知っていて戻そうとしているのか、あるいはウキは海にあった方が幸せなのではないか、と直感で思っているのか、どちらだろうかと思った。
ふとある光景を思い出した。およそマイナス20度の中で、写真を撮った。繰り返される波の音と寒さで思考は停止して、目の前に打ち上げられたウキのような気分になった。
人間は複合体だ。血、骨、肉、内臓に脳と様々な役割があってそれが一つになって生きている。決して1つの存在で成り立っていない。全ては炭素によって作られている。
では心は一体なにで作られているのか。心とはなにか。
その時、心を守るために肉体という衣/ころもをつけているように感じた。そして社会を生きていくために服を着てさらに鎧を着る。だがすべてを取り払ったら、寒空の下で打ち上げられたあのウキと変わらないのではないか。
ただただ我々は、起こる事象を見ているだけにすぎないのではないか。あのオレンジのウキのように。
子供はやがて裸になって遊び始めた。笑いながら見守った。
ウキを海に戻そうとするのを子供は諦めた。
子供の転がしていたウキは黄色だった。希望の色だ。
やがて数羽のカモメが飛んできた。小さな十字架の姿のその鳥は海の方向へと戻っていった。