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149.コーネリアスについて

 

 

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コーネリアスこと小山田圭吾がオリンピックの音楽担当を辞任するそうで。

久しぶりに怒りが湧いてきた。

 

オリンピックを開催する事自体が反対だし、もう一都市ではなく、団体競技個人競技、陸上や水泳なと欧州、アジア、アメリカで同時開催すべきではないか、と思っている。一都市でやるには警備、感染症対策にあまりに費用がかかるし、スポンサーの金を落とすのも一都市だと莫大すぎてイメージは悪くなる。分散すべきではないか。

 

オリンピックの唯一、良い所は様々な国から人々が集まる事だ。紛争地域の国から、日本のように比較的生活水準高い国まで多くの人々が集まる。

 

過去、現在のオリンピックで、紛争地域で生まれて銃を持って戦った人もいたろうし、貧困で犯罪多発地域にて犯罪に手を染めた人もいるだろう。その紛争にて被害も受けた人もいるだろうし、犯罪によって身内に不幸が起きた選手もいるはずだ。イジメをやった人間も、その被害を受けた人間もいる。

そんなバックグラウンドを持った人々が集まるのがオリンピックだ。

 

世界はいまだクソがつくくらい未熟だ。手を汚した選手も、逃げに逃げて生き延びた選手も、その未熟な世界の中でもこのオリンピックの中では公平なルールによって競技してお互い知り合うという事に、そして尚も世界は未熟である事を認識する事は、金メダル取る以上に意義があるのではないか。

 

貧困にあえぐ国の、紛争で苦しんでる国の選手が競技を終えた後に国旗を振りかざす姿は、いつか平和が訪れるようにと、切実な思いが込められているのをよく見るべきだ。

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イジメというのはとてもパーソナルな問題だ。それを蒸し返す事が、悪夢を呼び起こす事に直結する。

加害者側が音楽担当だなんて、日本語の恥だという意見も結局、自己ブランドを傷つけたくないからで、自分達は潔白である、高潔でなければいけないから叩き落とすというのは、イジメの構造そのものだ。

 

小山田圭吾には真摯に被害者に謝罪してほしい。許されるまで。だがそれを世間体に向けて謝罪するのは違うと思うし、被害者の方ならば自分の受けたイジメをあらためて蒸し返されるのはとても辛いはずだ。

俺自身、コーネリアスの大ファンだし、彼の才能は世界のアーティストからしても、一つ頭が抜けていると思う。そしてワンオートリックスポイントネバーや、ティムヘッカーなどエレクトロニカ/電子音を中心としたアーティストからコーネリアスの影響は見えたりする。

 

だからひいき目で見られてしまうかもしれないが、この対応は非常にまずいと感じている。

 

もはや監視社会である事は間違いない。そして過ちを犯した者に対して激しいバッシング/正義を振りかざす事によって、その監視はより強固になりさらに監視の目は厳しくなって、少しでも間違った事をするとより叩くようになる。そして自由な発想自体が輪を踏み外す者として嫌悪対象になっていく事になりかねない。

 

小山田圭吾がやった事も、ロッキンオンのクソ忌々しい記事を書いたやつの罪も消える事はない。

 

だが俺はこの事でコーネリアスを嫌いになる事はない。彼は大好きなアーティストだ。

今の日本は本当に政治も民意も最低だと思う。

 

人間、どんなに知識を得ても高潔になる事はない。生きるために人を蹴落として、手を汚した選手がいても、その罪の重さを理解して苦しみながらオリンピックのゴールに駆け込んで来たなら、黙って拍手を送りたい。

 

世界の未熟は、俺ら自身の問題でもあるからだ。

この事に無関心であり続ける事は、俺にはできない。

 

 

 

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