宇多田ヒカルさんのone last kissが素晴らしくて、テーマ曲になってるエヴァンゲリオンの世界観とどう絡んでくるのか、興味を持ちそれで序、破、Qを見ました。
昔からのコアなファンとは違うので、見解はまったく違うと思うのですが、賛否両論あるQが一番良かった。このQに庵野監督の記憶が多く投影されてるなと思いました。
その事について書いていきたいと思います。
もともとシンゴジラを見た時に、市川崑、岡本喜八監督の影響が凄くあるな、と思いました。
市川崑監督はもともとアニメーション畑の人で、そこから実写映画に移行した監督です。
そして実写映画を撮り始めた時に共同執筆で脚本をしたのが由美子夫人です。和田夏十(和田なっと)という名義で執筆活動をするのですが、エヴァンゲリオンのQを観て、この夫婦の話にしか見えなかった笑。
市川崑監督はこの由美子夫人の脚本のセンスを高く買っていたんですね。コメディ映画から文芸作品まで様々な映画を作りますが、特に文学で夏目漱石のこころ、吾輩は猫である、島崎藤村の破戒、三島由紀夫の炎上、大岡昇平の野火などの作品を手がけます。
文学作品はそのままストーリーを映画化しても面白くないので現代に合わせたテーマでストーリーを構成していくのだけど、由美子夫人が新たな構成を手がけ、どれも見応え十分の作品に仕上げています。
他にも犬神家の一族をはじめ金田一シリーズ、さらに黒い十人の女、ビルマの竪琴、東京オリンピックのドキュメンタリーや細雪など代表作がズラリとあります。
細雪も谷崎潤一郎ですね。こちらは読んだことはないですが、由美子夫人と共同脚本はこの作品で終わりになってしまいます。残念ながら癌で闘病生活を送っていて、最後に脚本を何行か書いて終わったらしいのです。
そしてその後の市川崑監督作品は、あまり面白い作品を作ったとは言えないかな、と思います。
さらにこの細雪に出演したとても人気のある女優さんが、いたく市川崑監督を気に入り、監督の作品なら出演したいと言います。
そんでその大女優はドル箱スターですから、会社としては言うことを聞かざる得ないですね。そしてその大女優のファンが怒るような映画は作れないってんで、市川崑監督に会社はお願いして大女優は、まー同じような役柄ばかりやるんですね。
話をエヴァンゲリオンに戻しましょう。
この市川崑の人生をエヴァンゲリオンの主要キャラクターに当てはめていくとどうなるか。碇シンジの父親、碇ゲンドウが市川崑だとして、妻は亡くなっているが復活を望んでいると。
その息子、主人公の碇シンジは妻が亡くなったあとの面白いとは言えない作品であったり、エヴァンゲリオンの監督、庵野さんに置き換えることができる。
そしてその作品ともいえる碇シンジが、綾波レイを救おうとして起きたのがサードインパクト。世界が破滅したと。
つまりこの綾波レイを救ったから市川崑の作品は面白くなくなったと仮定したら、その綾波レイは、吉永、、、じゃないや、その大女優にあたるのではないか、と思うんですね笑。
そしてエヴァンゲリオンのQでラストで、アスカが歩くのがおぼつかないシンジとレイに歩け、とうながします。
和田夏十として、2人の最後の遺作となった作品の細雪のラストは、失恋してしょぼくれている石坂浩二に定食屋?の給仕さんが、まだ若いんだから、良い人はまた現れるわよと言います。
これは由美子夫人が旦那である市川崑監督に向けてのメッセージかな、と思います。私の事はいいから、あなたは他に好きな人がいたら遠慮なく結婚すればいいと。
話をエヴァンゲリオンに戻すと、俺にはアスカの片目が見えないのは由美子夫人亡き和田夏十の存在にしか見えなかったし、2人をうながすのは、アタシがいなくなってもアンタらは人生があるんだから歩いていきなさいと言っている由美子夫人そのもののような気がしました。
勿論、これは俺の見解なので正解かどうかはわかりません。ただ市川崑作品や人生をある程度知っていると、エヴァンゲリオンQで母親の存在が明らかになった瞬間に、ザワザワとしてきたし、ラストを見たら鳥肌が立つどころか、苦笑いすら浮かんできてしまう。
あのラストはとても納得がしてしまうんです。由美子夫人が亡くなって、市川崑作品は明らかに質は落ちた。あの文学作品に果敢に挑み、市川崑監督の才能を引き出し、また引っ張っていったのは間違いなく由美子夫人だからです。夫人が亡くなった事は間違いなく日本映画界にとって大きな損失であったし、それは観ている俺らにとっても大きな欠落でもある。
あのラストを歩いていく風景のシーンはまさに由美子夫人を失った後の、大きな損失/欠落を表現している。それを見せつけられたし、庵野監督には同情しかない。
庵野さんは市川崑、岡本喜八監督の映画を徹底的に研究しているのは明らかです。そこを研究して新しいテクノロジーが出てきたら、そのフォーマットを使って新たな美術表現をするという事に大きな使命感みたいなものを感じていたのではないかなと思います。
だけど物語は突然終わってしまう。由美子夫人が亡くなってその物語は突然終わってしまうんですね。
だからQを見てエンディングロールでこのエヴァンゲリオンのキャラクターと市川崑との関係の相関図が、パッとできてしまうし、納得してしまいました。
この先にストーリーは続くわけだけど、率直ここで終わった方が、キレイな終わり方だなと思いました。
勿論、自分の見解が正しいとは思いません。
あのマリという存在と渚カヲルという存在は市川崑作品では説明がつかない部分があります。
実は祖父がキリスト教の牧師だったので、その事を知っているエヴァンゲリオンの好きな2人の友達から昔から、ずいぶん聞かれた事があります。
祖父は戦争中も教会の牧師をしていて、憲兵隊に引っ張られた事ある人で、まーそれは頑固な人だったので、キリスト教の英才教育を孫にしてきました笑。
おそらく使徒というのは、神様の使いで、ユダヤ、キリスト、イスラム教においてアダモ=赤い土によって人間は作られた宗教/神話の世界では語られています。そしてアダムとイヴがいて智恵の実をヘビの形として出てきた悪魔にそそのかされて食べて、楽園を追放されます。
つまり渚カヲルは最後に出てきた使徒になるのかな?17番目の使徒ならダブリンですから自由の象徴と言われてますが、十字架にかかった使徒が第二使徒だったと思うのですが、リリースは悪魔になるんですが、悪魔と契約したら自由ではなくなるから、渚カヲルは自爆して契約を取り消すという事になります。
そして碇ゲンドウの所属してる団体というのは智慧の実そのもので、罠を仕掛けて智慧、おそらく科学だと思うのですが、悪魔との契約は免れたものの、碇シンジは天使から人間になり、楽園から追放されるという、ユダヤ教の一つのハイライトであるストーリーとピタリとシンクロする部分があるな、と思いました。
そうですね、今気づいたんだけど、碇シンジは天使の側面もありますね。市川崑作品で犬神家の一族の探偵金田一は、実は事件を解決するのですけど殺人が全て終わるまで解決しようとしないんですね。
人間の醜態が終わるまで、天使的な立ち位置でずっと見守り続けて、殺人が全て終わったら誰が犯人か当てるというストーリーになっています。
なるほど、もしかしたらそういうところも参考にしてるのかも知れない。
あとはマリの存在は、まーなんつーかわからないけど、庵野監督が撮ったシンゴジラでも石原さとみさんが演じた役は、妙に鼻がつく演技していたけど、あれはワザとそういう風に演技させて違和感をあえてぶち込んでいるなと感じました。マリもちょっとした違和感としてぶち込んでいるような気がして、そこいらへんはあんまり深く考えなくてもいいかなと思っています。
書いた通り、個人的にはQでキレイな終わり方してるといえばいいかな、なんとなくその後のシンジや周辺の人物模様は新劇場版は観たいとは思わないんだけど、唯一このマリがそのあ後どう絡んでくるのかだけは気になるかな。
2.岡本喜八
シンゴジラを見て思った感想は、やっぱり岡本喜八監督の影響の凄さですね。もう全編にわたってリスペクトが出ている笑。岡本喜八監督の日本のいちばん長い1日のテンポを、そのままシンゴジラにぶちこんでいます。特に淡々とシーンが変わっていくところは市川崑監督の作品にも通じますけど、やっぱりサッサといくのは岡本喜八、市川崑両監督の影響ですね。
そしてなにより科学者として写真で登場していたし、君達も好きにしろというあの書き残しは、岡本喜八監督の沖縄決戦で有名なシーンですね。
あの壮絶な戦争映画、のちにスピルバーグのプライベートライアンとかにも通じてくる部分を感じたけど、庵野監督はあの壮絶な映画をエヴァンゲリオンQのラストに明らかに投影していましたね。
もし庵野監督に何か聞けるとしたら、沖縄決戦の話を庵野目線でどう映ったのか聞いてみたいです。
3.市川崑の美術表現
エヴァンゲリオンを今回見ていてとても良くわかったのは、綾波レイ、アスカ、マリのキャラクター造形ですね。これが一番理解できて良かった。
庵野監督は、市川崑作品の東京オリンピックのドキュメンタリーに、かなり影響を受けてるのではないかと思いました。
この東京オリンピックのドキュメンタリーはAmazonとかで見れるけど、総スカンを喰らったドキュメンタリーなんです笑。
あの東京オリンピックの、あの熱と興奮とあの感動をもう一度という感じで人々は期待していました。
しかし市川崑監督は情感を乗せたようなストーリー作りはしないタイプの監督なんです。むしろシュールな映像とタッチで展開していくのが大きな特徴として挙げられます。
もともとアニメーションをやっていたディズニーの流れるような動画作りが好きでこの世界に飛び込んだ人です。
で、美術畑の人ですから、モデルのデッサンとかを徹底的にやったはずなので、ポーズや筋肉の動き、それに伴って運動していく姿など、とても興味があったと思うんです。もともと黒澤明が撮る予定だったのが、色々あってやめて市川崑監督がやる事になったわけです。
美術畑の育った人間が、トップアスリートの肉体美と躍動感を撮る事は、願ってもないチャンスなわけです。そしてその肉体美や躍動する肉体や造形を撮るのに、一番排除しなければいけないのは情感や感動と言ったたぐいのものです。
その感動物語に流されてしまっては、ちゃんとした造形は撮れないんです。
このドキュメンタリーを俺も何回も見ました。写真を中心にブログをやってますが、東京オリンピックのドキュメンタリーではどんな角度から撮ったらいいか、どんな風に撮ったら見栄えがいいか、徹底的に研究して撮っているからです。
美術界に片足突っ込んでいた市川崑監督にとって、どの角度で撮ったらいいか相当考えているし、当時の技術、レンズ、カメラで、用いる知識の全てを使って撮っているんですね。
このドキュメンタリーは全く古くならない美術の教科書みたいなものです。角度、シルエット、照明の当て方、全て計算されて作られている。造形として美しさを追求した見事な傑作です。
かなり乱暴な言い方かも知れないけど、大きく二つに分かれた言い方をするなら、躍動する肉体と自然をこれでもか、と写す写真や動画、絵画があるとして、その反対には徹底的に造形として肉体、自然をとらえて計算して作られた美術もあるという事です。
この相反する二つ表現から枝分かれしつつたくさんの表現方法があるといえばいいかな。だから市川崑監督に感動物語を求める方が悪い笑。トップアスリートの共演なんだから、美術/芸術の人にそれを求めてしまうのは無理があるんですね。
そしてこのドキュメンタリーで一際目立つのが新体操だなと思います。
新体操というのは均衡/バランス感覚が求められる競技です。演技が始まる前から終わりまで足のつま先から頭のてっぺんまでピンと緊張を張り巡らせ、演技途中でもポーズはバランスの良さが求められ、ポーズが崩れると減点になるわけです。
そのポーズとは、どの角度から見てもバランスがとれていて、美術の視点でもそれはとても美しくうつる、という事になるんです。だから市川崑監督は新体操のシーンはかなりこだわって撮ってるように見えました。運動と芸術の交錯する地点がこの新体操だと言える。
バレエもそうですが、新体操やバレエはだからバランスのとれた身体つきになるし、それをエヴァンゲリオンの庵野監督は徹底的に研究して、造形として突き詰めた身体つきがキャラクターのスタイルになっているな、と感じました。
正直、このキャラクターが苦手な人は多いと思うんです。90年代にエヴァンゲリオンがブームになったと同時に、カウンターとして男はやっぱり綾波レイみたいになんでも言う事を聞くような女性がいいんだ、なんて雑誌や新聞に取り上げられてるいたのを憶えています。
造形としてあのキャラクターがいるだろうなとは当時から思ってはいたけど、やっぱりあれを男性の理想像として持ち上げられるのは勘弁してくれと思っていたし、実際にエヴァンゲリオンを見ない人にはそういう理由で見ない人も多いと思います。
今回見てとても納得しました。庵野監督の美術を突き詰めた美としてあのキャラクターがいるという事を。
だから女性としての生き方はミサトとリツコにまかせているんだなと思ったし、別に綾波レイが男性の理想的な存在として描いてはいないというのは、よくわかりました。
まー、でもあの徹底して計算して作られたキャラクターが動いてるのはやっぱりちょっと苦手でしたね笑。序、破、Qを見ても苦手は苦手でした。フィギュアとして置いてあるのならわかるけど、あれが動いているのは、三本見ても苦手でした笑。
4.最後に
というような感じでエヴァンゲリオンの感想を書いてみました。あらためて市川崑監督の作品を見たくなったし、構図の鬼と言っていいくらい、構図にこだわっていた監督だったし、また妻の由美子夫人の存在は本当に大きかったな、と思います。
そして俺の見解はあってるかどうか関係なく、こうやって美術の観点からも、市川崑/岡本喜八監督の残した遺産がエヴァンゲリオンに全面的に出ていたのは感慨深く思います。しっかりと次世代に残した作品だろうと思います。
俺も写真を撮っているので、わかりやすく構図の説明をしたいと思います。
空と海が対比が1:1、わかりやすく写真の半分から上が空で、下が海、そしてテトラポットが画面右端から伸びていってるという構図です。
滝ですが、ちょうど黒い部分と同じ比率に、、なってると思います笑。
市川崑監督は日本家屋の撮り方が尋常ではなかったです。上の赤ん坊の写真ですが、窓からこぼれる光と影をよく見ると長方形ですね。そして全体を見ると正方形のようになっている。
こういうのを撮らせると、右に出る人はいなかったと思います。あと宮嶋カメラマンとか。小林正樹さんとよくタッグ組んだ人ですが、代表作は切腹かな。とにかく左右均等、シンメトリーな構図でバンバン攻めてくるというか、そうですね、正直、市川崑監督や庵野監督はその正確さゆえに見るのがとても疲れます笑。
最後にエヴァンゲリオンの好きな人にいくつかオススメな映画を。
例えばこういう構図に興味があるきっちりした構図の映像が見たいという人には、ロジャーディーキンスの撮った映画をオススメします。
主にブレードランナー2049、007のスカイフォール、1917などが挙げられます。俺はこのロジャーさんの撮ったカメラワークが大好きで常に撮る時はロジャーさんならどう撮るか、それを考えてそこから外した角度でいい角度はないか探っています笑。
勿論全部失敗です笑。でもそれでちょっとニヤニヤするっていう感じですね。角度を探す旅は永遠なんです笑。
あとエヴァンゲリオンファンに合うかわからないけど、おそらく中にはナインインチネイルズのトレントレズナーが好きな人がいるかも知れません。90年代の孤独の王様でアイコンの1人ですが、彼が音楽制作に携わったウォッチメンは無茶苦茶オススメです。
アランムーア原作のアメコミものですが、アランムーアはイギリス人で、アメコミのヒーローたぐいの漫画が好きではなかったと思います。逆にそのアメコミヒーローを利用して、同時の社会情勢を痛烈に社会風刺した漫画がウォッチメンです。
原作ではDR.マンハッタン以外のヒーローは秩序を乱し、アメリカがベトナム戦争に勝利してベトナムを併合し、米ソ対立によって核戦争が避けられない中で、ヒーローのオズマンディアスが宇宙生命体が攻めてきたと、仮想敵を作ってNY市民を虐殺し、世界は争ってる場合ではないと核戦争を避けるという展開です。
マンハッタンはそれを知った上で黙認して終わると。
その34年後の世界からドラマは始まります。
多分、この内容読んでマーベルのコミックとは明らかに違うし、ちょっと日本にもない事がわかると思います笑。
正直もっと説明しなければいけないけど、この説明を頭に叩き込んでウォッチメンを見てください。マジでぶっ飛んでいて、頭を抱えます。全9話ですから休みの日に2日もあれば見れると思います。くれぐれも家族と見ないようにしてください笑。
呪術廻戦とか好きな人にもオススメですね。
という事でエヴァンゲリオンを見た感想を書いてきました。
正直難解なストーリーですから、自分の中でもこれはテレビシリーズ見ないとわからないな、と思いましたし、同時にこれは庵野監督の私小説的な話しでもある、つまり宇宙戦艦ヤマトのような艦隊があり、ウルトラマンに出てくるような怪獣があり、ロボットも出でくるという、少年時代の記憶を投影してる作品ですから、どこまでいっても答えはないな、だからいいのではないか、と思うような作品でした。
新劇場版はAmazonやネトフリで公開されたら見ようかなと思っています。ありがとうございました。
さゆりさんをエヴァンゲリオンのキャラクターにしたら誰ですかね?
こちらからは以上でーす。