弟夫婦が帰った。喧騒たるもの凄まじく、まるで猛獣が住んでるかのように子供達は遊んだ。
金曜は学校を休ませて、遊ばせた。八雲のパノラマパークは貸切だった。子供達は自由に遊んだ。
iPhoneで撮影していて光の光線が妻と子供にのびるように撮りたかったが、曲がっていた。
ふとその光線が曲がってるのを利用して、鳥が飛んでらかのように撮れないかと思った。
帰る時に弟がこうやって子供を心置きなく遊ばせたのはコロナ前だと言った。また来ると言って去って行った。
夜、家の前の庭のチューリップや星空を撮ろうと思った。残念ながら風が吹いていて焦点は定らないのはわかっていたが、それでも撮りたかった。
向こうの空で星が輝いている。孤独で孤立していて、その光は何年と経って届いている。
コロナ禍で失われた時間を、弟が来てようやく身にしみた。あまりに多くの時間が失われたのだ。
あまりに犠牲は大きかった。
ヘッドホンをしてfred againの曲を聴いた。ダンスフロアを失い、踊る事ができなくなった。そんな曲を聞いた。
メロディーが星空とシンクロして陶酔感を際立たせる。牧草地に寝っ転がって星空を眺めた。
こうやって頭上の星空を眺めるのも久しぶりだ。
とても美しく、その日の星空は自分のために瞬いているような気分になる。
音がその星々をとらえて心の底まで届けてくれたかのようで、安らぎを得た。それだけで、今は充分だった。少しだけそこで眠った。