カモメが向こうの海で飛び回っているのを見て、そこまで行ってみようと思い、すでに2キロ以上歩いた廃路をさらに歩いた。
もはや最果てにたどり着いた気分。どんどん人というものから一歩一歩階段を降りていく感じがした。途中のトンネルで見る窓といえばいいのか、そこから見る景色は何かを暗示してるかのように見えた。
だが、それは単なる妄想でしかない。最果てで、何かが起こる事はない。
いくつものトンネルを抜けて4キロ近く歩いたと思う。向こうにいたカモメは、もうすでに散開していた。
おそらくそこには小魚が集まっており、それに群がって大きな魚も来ているはずだ、と思った。
しかしその近くにくるともうすでにカモメはいなくなり、マイナス10℃を下回る気温の冬景色にただ1人、取り残されている自分がいた。
ここまで来たというのに。こんな地の果てに来たというのに。ひざまづいて息を整えつつ、水を飲み干した。
海を見た。波の音が盛大に鳴り響いている。疲れたが、気分は良かった。
しばらく海を見てると、カモメが飛んで来た。そしてゆっくり旋回してるのを見て、目をこらして海を見た。
いた。やはり、いたか。レンズを望遠レンズに変えて、覗く。
ダメだ、届かない。もっとこっちに来いよ。頼むから来てくれ。
だが最果てで願いが叶う事はない。そりゃそうだ。でもヤツらを確認出来てるのは、この俺1人だ。
帰り道を急ぐ。こんなに時間が過ぎるとは思わなかった。仕事があるというのに、まいった。道を歩きながらburialのstreets haloというアルバムをかけた。
この道と風景が音楽を聴くのは久しぶりなはずだ。
音楽をかけたからといっても何一つ呼応しないのはよくわかっている。しかし4キロも歩いたのだから、重い足取りを少しでも軽くしたかった。
フェンスが落ちかけてるトンネルまで来た時に、人間の世界に帰ってきた気分になった。それが良いことかどうかはその時はわからなかった。
先ほどまでイルカが4、5頭泳いでいるのを見れたわけだから。海面でそれだけ確認できたという事は、おそらくもう少しいたのだろう。
長万部から室蘭の間ほどではないにせよ、日本海側でもイルカは確認できる。だが早朝ならまだしも、ラッキーだった。
写真に何枚か撮ったが、確認してもわかるレベルではなかった。今年は夏にイルカの群れを撮る事を誓った。
もっと奥に歩いていけば、まだ何か撮れたろうか?そんな考えがよぎる。
いずれにせよ、この道に、この場所に、この地にいるのは俺一人だ。
そしてこれから後にも先にもそれは変わらないだろう。これから先もこの道を、この場所を、この地を写真を撮り続けるのは俺1人だろうから。