15分ほどあずま屋の中でうたた寝をして起き上がり、また撮影を始める。風の音と木の葉の音が心地よく、また落ち葉が敷き詰められた道はフカフカで歩きやすかった。
林の暗がりは静寂に満ちていて、向こうを見ると明かりが差している。その光がとても心に残る。その方向に向かって歩いていく。
ふと今年見たステーション11というドラマを思い出した。森のシーンがあってとても印象に残っている。
射し込む陽の光が美しく、影の部分もとても魅力的に見えた。これを撮りにきたのだ、と思いながら写真を撮る。
赤い紅葉が燃えてるように見えた。これが自然の色だと思うと毎年だが、信じられない気持ちになる。
風が吹くと数枚ほど紅葉が落ちてきた。
ヒラヒラと落ちてくる様子を見て、火の粉がゆっくり落ちてくるかのような想像をした。
車に乗り、撮った写真を確認する。印象的な写真をしばらく見ていた。
光があたり、キラキラ輝いていた植物の姿。
そのフワリとした輝きは、植物自ら発光してるかのように見えた。
植物や生物を創り出したのは地球だが、生命によって地球も創り変えられてきた。
生命が誕生しなければ、川も海もなかったというのが大筋の学説だ。おそらく金星のような惑星であったろう。
その一つ一つが生きて死に、多くを与えて次世代に繋げて絶えていく。その歴史は鎖よりも硬く、連鎖は止まる事がなくコントロール不能だ。それは今後ともそうであり、どう変化していくのか誰も予想できない。
確かに人間は地球にダメージを与えている。だがそれで地球は死ぬ事はない。言うならば人間が創り出した社会や世界が滅びるだけであって、また新たなサイクルは生まれ、サイクルは力強く続いていくのだ。そこに人間がいないだけで生物の一種類が絶滅しただけに過ぎない。50億年生きてきた地球からしてみると、10万年そこそこの人類の歴史など取るに足らない存在ではある。
無論、ダメージを止めなければいけないのは前提の話だが。
50億年の歴史はうねりにうねりながら続いてゆく。
その1ページの一文字にもあたらない写真を撮る。それは静かで止まっているかのようだ。
だがそれでも生命の力強さは満ちに満ちているのだろう。やはり輝いているのだ。
心地よい森のざわめきは、頭の中で響いていた。光のあたるあの場所がいまだに目の裏側で輝いている。
少なくとも人生の1ページの一文字にはなっているはずだ。