秋の森を散策しながら写真を撮り続けた。
サクサクと枯葉を踏む心地よい音と鳥の鳴き声が気持ちを穏やかにする。ここはやはり良い場所だ。
トチノキの黄金色がとても陽の光に輝いてうつくしかった。同時に影とのコントラストも魅力的でしばし足を止めた。
太陽光が森の中に突き刺す。その紅葉は眩く美しく輝いて、その全容を光を浴びながら見せてくれた。緑葉の季節ならば気づかぬ全体を、この紅葉の季節ならば見せてくれる。
しばらくみとれて眺めていた。
椅子に座り、しばし休憩をした。片手で撮影してるとはいえ、怪我をしている左手の親指が痛くなった。光の差し込む森を見ながら100年後、200年後にこの森はどうなっているか、と想像した。
木が密集しているという事はそれだけ地下水が流れていて、水脈があるという事だ。
最初に笹やシダ植物が生えて、硬い地盤を柔らかくして地下水が流れるようになる。それを針葉樹や白樺が水を吸ってぐんぐんと伸びて成長する。しかしその木々は細々として台風などで折れてしまう。
そしてそのあとに広葉樹が伸びて成長して森は形成されていくのだ。
つまり今見ている木々の多くは折れたり倒れて、100年、200年後には広葉樹が多く成長してるのではないか。
この地球に生きる全ての植物、生物は地球だけによってもたらせてるわけではない。太陽の周りを地球は公転し、その作用が植物の成長に反映される。
反時計廻りに植物はねじれながら伸びて成長していく。葉は太陽の光を浴びるために重ならないようについていく。
言わば一つ一つの植物が宇宙の設計図そのものでもあり、その影響によって出来上がっている。
そしてその一つの集合体が森で、それは宇宙の生い立ち、歴史そのものを表しているように見える。
そのような森の中にある小さな椅子に座って周囲を見渡しながらここに全ての答えがあるというのに、何もわからず孤立した気分になって森が奏でる音に耳をすました。
いつも堂々巡りして、孤立する。だがこの中にいるのはなにより至福だ。
物質の高まりが頂点に達するのが秋で、様々な事を想像させる。
暗がりの中から、まばゆい光で向こう側の景色がやけに輝いて見えた。
天国とはこういうものなのかもしれないと思いつつ、一歩一歩歩いて、枯葉をシャリシャリ踏みながら、まばゆく暖かい陽光を全身に浴びてしばし立ち止まった。
暖かさが皮膚を通して体内を温められるのを感じつつ、車の方に向かって歩を進める。
帰るのだ。帰るべき場所に。車に乗り込み、しばし考えこんで音楽を選択した。あの陽光のような輝きと温かみを感じるsam prekop のpark lineという曲をかけた。
https://open.spotify.com/track/4PlMwTtwkL0J19Tt6DdBvs?si=bjj9Izj-RxyJtoAWVMswIw
あの陽光の温かみは、体内にぬくもりとなって昇華される。