写真、自然、音楽、科学、が趣味

生活の風景

音楽、写真、日常を切り取る感じで。

159.秋色

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紅葉の写真を撮るために裏山を散策した。カメラは富士フイルムxpro2  、xf100-400mm。

現在富士フイルムで出しているズームレンズでは1番大きなレンズになる。

北海道のように自然が豊かだと野生動物や紅葉など、とかくズームレンズがあれば便利だ。

 

個人的には都会住んでいたら、まったくズームレンズは使わないだろう。富士フイルム換算で35mmと55mmあればいい。

 

今日はこのズームレンズ一本で勝負。重たいうえに、左手はギブスを巻いているのでかまえられないw。

 

左手のギブスにズームレンズを固定してなんとか撮るのがやっとだったw。これも至難の技で、かまえてギブスに固定すると切れた親指に痛みが走り、悲鳴をあげたくなる。万事がこの調子で構図などはもう二の次、ここだろうというポイントでシャッターを押す。

 

 

 


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雨に濡れた紅葉はとても綺麗だった。毎年思うことだが、七変化の如く色が変わっていく様に驚きつつ、高揚感を覚える。

 

 


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左腕、左親指は悲鳴をあげていた。痛みが走ろうともこの瞬間は目に、写真におさめておきたい。勿論、その魅力をとらえきれる事は難しいが。

 

今回も一枚たりとも満足したものはなく、しかしカメラをかまえて撮ることができた事にとても満足していた。

 

額縁におさまらない魅力的な写真を。

いつか。

 

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夜になり、雨の降った水たまりに月が浮いていた。カメラを持ち出して写真を撮った。

神秘というものは、写真にしてしまえばなんだかつまらない。

 

月を撮るたびにその事を思う。その美しい表面をファインダーでのぞけばとても神秘的なのだけど、残念ながら世界はそこで終わる。撮った写真を見て思った。

 

Sharon van ettenのlove more という曲を聴きながら、月と今日にお別れをした。

 

 

 

https://open.spotify.com/track/4evRqQUexMROsP0fyIuYgV?si=A2w-pPWdTL2TlpNaf4bvjA

 

158.森の中で


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一ヶ月前に北海道は黒松内のブナの森に家族を連れて行ってきた。

散策するにはもってこいの場所で子供は最初は喜んでいたものの、すぐに飽きて抱っこ抱っことねだり始めた。

 

 

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写真を撮りすぎて子供がもうウンザリした表情に笑った。

森の中では不思議と気が緩み、皆にこやかな表情になった。ブナを生かすために非常に丁寧でかつ行き届いた手入れがされている。

 

森の中なのに空間は広く、よどみがなく、とても快適だ。人間の手入れが行き届くとこうも心地よいのか、と思った。

 

 


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2時間くらい居た気がする。子供達はクタクタで車に入ってすぐに寝てしまった。美しく人気(ひとけ)のないその空間で、ゆっくり過ごせた。

 

 

 


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手が怪我をしてなければ、紅葉の写真を撮るのだけど、中々かまえられない。ギブスをして完全に固定されてる状態なので、写真を撮るにはとても難しい。家族の写真も、森の紅葉も撮りたいのだけど。

 

 

 

 


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完全な失敗した写真なのだが、それでも気に入っている。青々した緑が広がり、眩しい光がスッと入ってくるあの風景を、なかなか写真にするには難しい。

 

それでもどこかあの神々しさ漂うあの空間を思い出させてくれる。

 

もうすぐ緑の季節が終わる。紅葉と真っ白な風景を、写真に、目に焼きつけないわけにはいかないのだ。

157.コスモス

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前回の満月の時の写真。特別コスモスが好きな花というわけではないのだけど、秋の代名詞だし、夜の写真を中心に撮ってみた。

 


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家の明かりを利用して写真を撮った。コスモスとは調和がとれた、均衡がとれた花の象徴とされてる。多くが8枚の花びらで形成されており、宇宙の均衡=マクロコスモスと人間の内部の小宇宙=ミクロコスモスに分けられ、かつて古代ギリシャピタゴラスは、このコスモスの花を見て人間の存在を重ねたのだろう。

 

調和/均衡のとれた状態がコスモス、そして混沌とした状態がカオスと言う。

カオスがなければ、混沌がなければ調和/均衡は生まれない。

 

調和の花は高く高く何かを目指すように伸びていた。

 

 

 


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月と重ねてシャッターを押した。大宇宙と小宇宙の重なりに少しだけ満足をする。だがやはりふと思ってしまう。調和のとれた世界とはあるのだろうか?

宇宙の歴史なぞ、たかだか150億年くらいだ。気の遠くなるくらいの歴史だが、それでも一瞬でしかない。シャボン玉を膨らませている最中と言っていい状態が、現宇宙だ。

 

 

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筋書きがないドラマの中で、孤立してる気分になった。優しい秋風にあおられて、コスモスは震えた。

 

それは夜の中でも、月に照らされてよく見えた。

 

156.歩いて

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かなり期間が空いてしまった。映画の事をかなり全力で記事にしたのと、忙しくなったのでプツンとキレてしまった。映画の事はアプリでfilmmarksというのがあって、そちらに書きたいと思います。

 

こちらは音楽と写真専用の方がいい。映画を書くと深掘りした上で書きたくなるから時間がかかり、結局書けなくなってしまう。悪循環になることがわかった。

 

そして個人的に電気工具で左手親指を切ってしまい、切断はまぬがれたものの動けない状態でいる。これにはまいった。これだけの怪我は初めてで、とても周りに迷惑をかけつつ、お世話にもなっている。

 

 

 


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少しずつまたやり始めようと思う。また少しずつ歩き始めようと思う。

 

 

 

155.グラントリノからみる映画史pt.2

 

 

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4.黒澤明の快進撃

 

 

 

前回の続きです。クリントイーストウッドの映画グラントリノを深掘りするために彼の影響を受けた映画、黒澤明の映画を振り返っていました。

前回は七人の侍で終わりました。

 

 

七人の侍で国内、海外の映画制作側も見る側も水準が高くなり、さらに黒澤明は立て続けに時代劇で傑作をだします。

ちょっと今回は時代劇映画からクリントイーストウッドに迫りたいところがあるので、生き物の記録やどん底という映画も振り返ると長くなるので、もう長くなってるけど笑、飛ばします。

 

 

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で、黒澤明蜘蛛巣城という映画を制作ます。

この映画はシェイクスピアマクベスという戯曲を時代劇にして映画にするのですが、重厚なストーリー展開、そしてなんと言っても壮絶なラストシーンが印象的に残り、映画というのは芸術作品になりうるとたらしめた作品だと思います。

おそらくラストシーンで死にかけたランキングというのがあれば、間違いなくこの蜘蛛巣城三船敏郎は一位になると思いますね笑。

 

舞台といえばシェイクスピアというイメージを覆すとまでは言わないまでも、映画化に成功した一本として、一気に映画という文化の底上げが図られたわけです。

 

さらに隠し砦と三悪人で生き残った姫様を中心として国を再興するという娯楽映画を作ります。女性を台座に座らせる点と国の再興という点が、日本の当時の状況と歩むべき姿を表していると思います。そしてこれがスターウォーズの原形になるわけですね。

 

 

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で、次に作られたのが用心棒と椿三十郎になってここからクリントイーストウッドに結びつくわけです笑。前段階が非常に長かった笑。

でも黒澤明の用心棒が、マカロニウエスタンの荒野の用心棒のモチーフなってると簡単に言えるけど、この前段階で国内/海外の作る側と見る側の意識をめちゃくちゃ変えていってるという事が大事なんですね。そこに用心棒でさらにアクション映画を変えていくのです。

 

 

5.用心棒とクリントイーストウッド

 

 

 

 

 

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この映画で大きなトピックは実は西部劇的なアプローチがされながらストーリー展開がされるところです。もう出だしからそうですね。

犬が手首を持って歩いてるシーンで、どれだけ治安が荒れているかをわからせるという演出。

裏のサイドストーリーとして、かつてはチンピラ役だったところから三船敏郎は人を守る立場に変わり、そしてチンピラ役にあの仲代達矢が入るというところです。

 

この映画で最も革新的なのは、今では当たり前の事なのですが、血が流れるというところです。今までで刀で肉を切る音がして、さらに血が流れるという映画はなかったんですね。これは春日太一さんの本を読むまでわかりませんでした。

今では当たり前すぎてそんな事は分からなかったのですが、この用心棒から始まったんですね。

やっぱり相当衝撃だったんじゃないかな。血が流れた瞬間に、一瞬本当に切りやがったって思う人はいたんだと思います。

この用心棒と椿三十郎という作品、特に椿三十郎でのラストシーンはまさに度肝を抜かれたんだと思います。

なにせ黒澤明は、三船敏郎仲代達矢の一騎打ちでそれを見守る田中邦衛加山雄三などには、なにも教えてなかったらしいんですね。だからあの表情は素の表情だ、と仲代達矢さんの本に書いてありました。

 

で、この用心棒と椿三十郎のおかげで東映のチャンバラ時代劇はまったくヒットしなくなってしまったらしいんですね。もう血も流れない時代劇なんて時代劇ではない、アクション映画ではないと。

 

 

 

 

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アメリカでもこの映画がヒットして、アクション映画では血が流れ、さらに鮮血の嵐でお馴染みの映画にて初めてのスプラッター映画笑、子連れ狼でさらに血まみれ映画がヒットして、ハリウッドのアクション映画は血が出る映画を量産していく事になると。

 

用心棒/椿三十郎でははっきり言って人を斬りすぎではないかな?というシーンがあります。

ここがとても大事なんですね。

黒澤明もノリに乗っている、三船敏郎も刀のアクションや演技なども円熟期を迎えつつあった時代です。ノリに乗っていたからバンバン人を斬るシーンもできちゃうんだからしょうがないってんで止めなかったんですね。

 

ここからクリントイーストウッドです笑。このノリに乗っている、熱病に侵された状態の映画をそのまま作ったのが荒野の用心棒です。

そしてその荒野の用心棒を現代版にアップデートしたのがダーティーハリーという映画です。

 

このダーティーハリーは黒澤明の野良犬をベースにしつつ、アウトローでありながら、弱い奴や正義のためならバンバン人を殺してもいいんだと、悪に立ち向かう映画です。求められたのは三船敏郎という事なんです。書いた通り、野良犬ベースですし、イーストウッドもそれは三船敏郎をかなり意識したと思います。

映画を観る観客の人は三船敏郎を知らなくても、映画に携わっている人なら誰でも知っていて、映画史を塗り替えた憧れの三船敏郎です。

 

ただ悪人を殺すだけなら三船敏郎は越えられない、もっと激しく印象に残るようにしないといけない。三船敏郎が日本刀ならば、クリントイーストウッドは、ダーティーハリーはマグナム銃だと非現実的な設定を入れてくるんですね笑。あとなんと言ってもドンシーゲルですから、監督が笑。

 

B級映画の帝王ですから、そういう設定が好きなんですね。

 

これがアメリカ国内、国外で大ヒットして、強いアメリカを象徴するダークヒーローとしてイーストウッドはハリウッドの地位を獲得していきます。

ただ、やはりダーティーハリーは大ヒットしたとはいえ、批評家からはやりすぎだ、過激すぎると賛否両論が巻き起こったようです。

この時、ハリウッドも好景気というか、ジャンジャン映画産業に金を投資する時期です。

やるならド派手にドカーンと行こうぜって、皆、熱病に侵されていた時期でもあります。だから周りの影響とかが見えてないし、やればやるだけヒットするので、過激になりがちだったんですね。

 

その最たる映画がダーティーハリーだったかも知れません。

 

 

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6.イーストウッドの復讐と再生物語

 

 

 

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今回はグラントリノを中心に書いていくので、ザッと書いていきます。いずれ一本、一本書いていきたいのですが、イーストウッドの出演、あるいは監督作品を見ていると、多くは復讐/リベンジと再生をする物語が描かれています。

 

 

それはストーリーもそうですが、失われつつある文化の復興、再生をテーマにした作品もあります。

 

もうハリウッドは制作しなくなった西部劇を映画化した許されざる者かつては大衆音楽の中心にあったのがジャズで、そのジャズの伝説的人物、チャーリーパーカーの伝記映画を制作して文化の復興と再生させたり、他にもイーストウッドかつてはジャズマン、ミュージシャンを目指した事もあってセンチメンタルアドベンチャーでは自身が売れないカントリー歌手として、旅をしながら自身の果たす事のできなかった音楽放浪生活を、映画の中で果たそうとします。

 

イーストウッドが幼少時代から慣れ親しんだ西部劇というのは、悲惨な歴史が絡んでいるからこれからは開拓時代とは言えなくなると思うけど、無秩序の世界に正義のガンマンが立ち挑むという設定/構成が必ず組み込んでいました。

アメリカの多くの人は開拓精神というスピリッツが、1人のガンマンに象徴されているのを見ているわけです。

 

悪い奴は全員ぶっ飛ばさなければいけない、それは他国でも同じだ、とその人、その国の生活/環境は無視して戦う映画が横行します。

 

クリントイーストウッドの映画でもそうですが、ハートブレイクリッジとアメリカンスナイパーが良い例です。

 

 

 

 

 

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ここでのアメリカ軍の描き方が異なるんですね。ハートブレイクの方は、一方的なアメリカ軍からの視点だけど、アメリカンスナイパーでは敵のスナイパーの現実も見せていきます。

ちなみにハートブレイクリッジはアメリカが正しいという物語ではありません。家族の再生物語と軍の若者との交流を中心に描いた物語で、クリントイーストウッドを知る上ではとても重要な一本だと思います。

 

 

このように、敵の視点からの物語を描くようになったのは、許されざる者という映画からでしょう。

何があったのかはわからないけど、この映画から明らかに変わっています。

 

そしてこの映画を機に、クリントイーストウッドは自分自身の人生をも、再生していく事になります。

 

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この許されざる者は、いずれなぜジーンハックマンは保安官なのか、モーガンフリーマンはどうしてこの役なのか、詳しく書きたいと思います。

ザッと書くと悪い奴には何をしても良いと思っている保安官で、クリントイーストウッドは、かつて強盗など働いた経験があり、言わばお尋ね者という存在です。

 

イーストウッドジーンハックマンと対峙する事になるのだけど、この保安官こそダーティーハリーその者と言っていい。

あとイーストウッドの、人生に傷があるという役は、かつてそういう映画に出演してきた自分、と重なる部分があります。

この映画を機に、イーストウッドは自分に対して重たい十字架を引きずりながら、孤独に復讐/再生の道を歩んで行く事になるんですね。

 

 

 

7.グラントリノ

 

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イーストウッドにはザッと3つの時代に分かれるのですが、最初は西部劇時代、2つ目はダーティーハリーなどハリウッド狂想曲時代、そして3つ目は監督兼出演時代になるのだけど、多くの人達が共有してるのがこの監督兼出演時代なわけです。

 

このハリウッド狂想曲時代の、ダーティーハリーとして活躍して、弱い奴を救うためには何をやってもいい、正義とはそういうものだという空気感が蔓延してる中で、デトロイトである事件が起きます。

 

 

それは日本車の安く、壊れにくく、ガソリン代もアメリカの車とは比較にならないくらい安くすむ経済的にも良い車が売れて、アメリカの自動車産業は斜陽期になっていきます。そしてその一大産業を担っていたのがデトロイトです。

そのデトロイトで1980年初頭に、酔っ払った白人が日本人と勘違いして中国人を撲殺する事件が起きてしまうのです。

 

言わば自分達を苦しめてるのは日本車で日本車叩きがあって、それが暴徒化した事件と言っていいと思いますが、根底には外からの侵入者、そして自分達を苦しめてる奴らには何をしても良い、という空気が蔓延していたからだとも言える。

グラントリノの物語を産むキッカケはこれだと思います。

 

そしてグラントリノには3つのポイントがあります。

 

1つ目はグラントリノという車が製造されたのが1972年という事。

 

2つ目はダーティーハリーが公開されたのが1971年のクリスマスシーズン、つまり年末をはさんで1972年にも公開されているという事。

 

3つ目は1972年に公開された映画で、バニシングポイントという映画があります。このバニシングポイントはコワルスキーという主人公が車に乗って爆走するという映画ですが、グラントリノの主人公もコワルスキーという名前である点。

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つまりこの3つのポイントはアメリカが経済、文化の側面で世界をリードしていたという事になります。グラントリノの物語の根底には、設定にはそういう今昔物語があると。

そこに黒澤明の生きるという作品や三船敏郎の作り上げたヒーロー像の人生を歩んできたイーストウッドの人生も混ぜて、制作されたのがこのグラントリノだという事になるのです。

 

このグラントリノイーストウッドの最後の出演作になるのではないか、と言われてましたから、映画館に観に行きました。冒頭から家族間に軋轢がある時点で、黒澤明の生きるという作品をモチーフにしてるな、と思いながら最後まで見た時はやっぱり泣きました。もう十分責任は果たした、もう十字架はおろしてくれ、と思いました。

 

だけどそこからさらに運び屋という映画が作られて、彼がいったい何を運んでいるのか、ぜひ見て欲しい作品です。

 

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8.クリントイーストウッドのオススメ映画

 

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イーストウッドのオススメ映画といえば、真っ先に浮かぶのがアルカトラズからの脱出です。今、45歳ですが、50代以上の年齢層の人はこの映画を1番にあげるのではないかな。ダーティーハリーの監督、盟友ドンシーゲルと組んだ最高傑作です。そして恐怖のメロディー。これはイーストウッドが初めて監督した作品で、全くヒットせず、そして俳優が監督なんかやるからだ、と酷評された作品らしいんですが、これは初めて作られたストーカー作品で、実際に今ではかなり再評価されているみたいです。危険な情事という映画のモチーフになっていますね。

音楽に対するこだわりも見えます。こぼれ話としてバーテンダー役の人がドンシーゲルです。

この作品の後にダーティーハリーが制作されるんですが、ダーティーハリーがマグナム銃をぶっ放す背景には映画館が映っています。その映画館の掲示板で宣伝されてるのが実は恐怖のメロディーなんですね。これは2人の友情と、洒落と、そしてこれからダーティーハリーがバンバンぶっ飛ばしていくぜ、という3つの要素が絡み合っていると思います。

 

クリントイーストウッドが監督したことによって、ロバートレッドフォード、メルギブソン、ケビンコスナーなどが監督もするようになり、アカデミー賞を受賞しています。

 

監督兼出演で言えば2000年代からの作品はどれも見応えがあるけど、このミリオンダラーベイビーは好きですね。他にもいっぱいあるけど、まずグラントリノを見てそれからダーティーハリーも見つつこちらの作品を見るのがオススメかなと思います。

 

 

9.日本映画が世界に与えた影響

 

まずはこちらをご覧ください。

 

 

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モーガンフリーマン。

 


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志村喬/しむらたかし

 

 


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もう一回志村喬、、、じゃない、モーガンフリーマン。

 

 

 

 


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もうわかりましたね笑。そういう事なんです。俺も許されざる者では気づかなかったけど、セブンという映画を映画館で見た時に気づきました。

セブンは黒澤明の野良犬のベテラン刑事と新人の刑事の相棒/バディもの映画を下敷きにして展開していく映画です。

 

そしてこの2人の刑事コンビという構成を生み出したのが黒澤明映画からなんですね。モーガンフリーマンはそれをわかりやすく示しています笑。見て見て〜志村喬おじさんだよー、ここにいるよーっていう。

 

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ダークナイトでは正義心の強いバットマンを演じるウェインにアドバイスする役をしています。これは三船敏郎志村喬の関係ですね。常に暴走しそうな三船敏郎を悟す役になっているという。

 

 

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あと相棒/バディもので最大のヒットしたのがこれでしょう。リーサルウェポンですね。メルギブソン三船敏郎で、ダニーグロヴァーが志村喬ですね。よーく見るとダニーグローヴァーも志村喬に似ていますよね。

 

慌てて話すときは、言葉がなかなか出てこないんですが、これは明らかに生きるで演技した志村喬をモチーフにしていますね。ま、いかに影響を与えたかという事ですが、やっぱりアルパチーノやロバートデニーロなんかもやはり仲代達矢志村喬、そして三船敏郎は尊敬の対象として崇めていますね。

 

野良犬関連で相棒もののオススメで言えばこのtrue detectiveシリーズです。特にシーズン1は、ドラマを見てきた中では前の記事エヴァンゲリオンで書きましたが、ウォッチメンとこの作品はダントツで好きなドラマです。

シーズン2は犯罪者と手を組んで捜査するという構成ですが、これは酔いどれ天使から来てると思ったし、シーズン3は羅生門ですね。

派手なアクションはないし、見る人を選ぶかも知れませんが重厚な人間ドラマが繰り広げて大好きな作品です。


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あとわかりやすいんだけど、意外と知られてないところで言えばボディガードですね。若い人は知らないかも知れないけど、ホイットニーヒューストンとケビンコスナーの映画です。ボディガードは日本語で言えば警備員ですが、崩した言葉で言えば用心棒ですね笑。

 

劇中でケビンコスナーの部屋に行くと日本刀があるし、ホイットニーヒューストンと映画を観に行くのは用心棒ですね。まーそういう事です笑。

 

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他にも七人の侍は、映画文化のある国では必ず作られている作品です。多民族国家の国々には、身分も越えて村を守る物語は共感しやすいのでしょう。この10年間を振り返ってみても、マッドマックス、スターウォーズブレードランナー大作映画の続編が作られたわけですが、黒澤明のオマージュといえるシーンがいくつかありました。いまだにオマージュされたり、ドラマとして再構築されたりしてるのは凄いと思います。

 

 

オーバーに聞こえるかも知れませんが、三船敏郎黒澤明が出会ったからこそ、大きな歯車が動き出して、世界を変えていったとも言えると思います。本当にこの出会いはとんでもない事だったと思います。

 

そして黒澤明だけが凄かったわけではなく、日本映画そのものがとても評価されていました。毎年のように国際映画祭ではなにかしら受賞していました。それはなぜか?

 

 

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それは日本が戦争に負けたからです。国のために死ねと言われて育ち、戦争に赴き、人を殺し、仲間を殺され、戦争が終わった瞬間から追われる立場になって命からがら逃げてきて、なんとか帰ってきたら、全ての教えは黒く塗られてなかった事になっていた。仲間はなんのために死んでいったのか、国とはなんなのか、人とはなんなのか。

 

その大きな問いが、怒りが、哀しみが新しいヒューマンドラマを生み出して勧善懲悪な物語や、ロマンス映画の時代に一石を投じたわけです。

 

 

 

 

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俺自身、黒澤明の映画が面白いと思って以来、1950年代の映画を片っ端から見ていきました。どの映画も骨太で面白くて驚きました。色々と見ていくとある事に気づいてきます。

名作と言われる映画にはたいがい橋本忍が脚本を手がけているという事です。

 

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橋本忍兵庫県で生まれ、やがて軍隊に召集されます。かなり優秀な部隊に所属していたらしいのですが、ビルマに行く最中に体調を崩して戦線を離脱、結核と判断されて余命2年と宣告されます。

 

テレビのドキュメンタリーを見ましたが、療養所に父親が来た際に、父親が言った言葉は、死ぬなら迷惑をかけずに死ね、と言われたらしいです。国のために死ぬのが最大の美徳とされていた時代ですから、父親は子供の橋本忍に心底がっかりしたのだと思います。

 

かたや橋本忍がいた部隊は、インパール大作戦に参戦して最前線に送られていったと言ってました。インパール大作戦とは武器に必要な弾丸などを含め救援物資が断たれていても前線は進め、進めと進まされ、結果的にほぼ全滅状態に近い、世界的な戦争の歴史の中でも最も悲惨な作戦と言われています。

 

のべ戦死者は日本軍だけでも15万人以上と言われています。

 

 

橋本忍は奇跡的に結核から助かりましたが、仲間達は帰ってきませんでした。国のために死ぬという事が美徳とされていたから、そのつもりで行ったのに、前線で仲間たちと戦う事もできず、死にすら見放され、おめおめと生きている自分を恥じると同時に、インパール大作戦を含め、多くの作戦に失態があったことに怒りをおぼえ、それを数多くの時代劇やヒューマンドラマに人間の愚かさと散りゆく人々を脚本に書いていきます。

 

彼の作品で特徴的なのは回想シーンを盛り込んでいく手法です。生きるという作品も、志村喬演じる渡辺課長が歩きまわって説得するシーンを部下が思い出すようにして繋いでいきます。

こういう風に主人公や周りの人が過去を振り返りながら構成していく物語は、初めてではないにせよ、全編的に回想シーンをつないで物語を構成していくのは、橋本忍の最大の功績と言っていいでしょう。

 

最近の映画で言うならばストーリーオブマイライフ、私の若草物語がとても素晴らしかったです。個人的には回想映画としては生きるに並ぶ傑作だと思います。若草物語はなんとなく良妻賢母というか、姉妹が仲良く暮らして結婚してみたいなストーリーだったのをおぼろげに憶えていて、これを見る価値あるのか、と敬遠していたのですが、正月に見て驚きました。

生涯独身を貫いたルイザ・メイオルコットを中心に展開する物語で、若草物語の輝かしい思い出を損なう事なく、現代の女性と重ね合わせたストーリーです。

びっくりしたのは、主人公のルイザメイオルコットが自分の書いた原稿を並べて高いところから見下ろして無駄なページをはぶくシーンですが、実際に橋本忍も同じ事をやっていたのです。つーか作家さんの中にはそういう事やる人は多いのかな?書いた脚本を床に並べて見てると、いらないページが見つかるらしいのです。

あのシーンを見た時はとても驚きました。

 

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橋本忍の代表作は日本沈没ゼロの焦点、上意討ち、真昼の暗黒、八つ墓村、悪い奴ほどよく眠るなど、もう数えきれないくらいあります。特にラストの犯人がわかった上での回想シーンでつないでいく砂の器は好きですが、先日亡くなった田中邦衛を踏まえた上で言うならば、人間の條件は戦争映画としても世界中で評価されてる作品です。

実際に田中邦衛さんのあの出演シーンがなければ、スタンレーキューブリックフルメタルジャケットは全く違うものになったでしょう。

 

そんな中でも橋本忍自身の人生が滲み出ていて、世界的にもとても高く評価されている作品をあえて一本選ぶなら、切腹という作品かなと思います。主人公の仲代達矢自身も、死んだとして自分の出演した一本を選ぶなら切腹だとこちらに書いていました。

 

 

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かつて安芸広島福島家家臣、津雲という浪人が井伊家を訪ねます。これは史実をモチーフにして作られた映画です。福島家はかつて豊臣秀吉に仕えて、最も信頼における部下として活躍していました。しかし度重なる朝鮮の遠征など、秀吉に不信感を募らせることになります。

 

それで関ヶ原の戦いでは徳川家につき、活躍をしたのですが大坂の陣では家康はまた福島家は豊臣方に寝返るのではないか、と考えてそれが引き金となって色々と理由をつけて藩そのものが取り潰しになります。

 

その家臣が井伊家を訪れて、あまりの貧しさゆえにもう侍として生きるのは恥を上塗りしているだけだから、潔く切腹をして武士道を全うしたい、だからお庭を貸していただきたいと願いでます。

その頃、切腹をするから庭を貸してくれと言って金品を貰おうとゆすりタカリがあったらしいんですね。

そこからストーリーはゆっくりと展開していきます。とにかく低く、ゆっくりと緊張感溢れる仲代達矢三國連太郎の演技合戦がたまらないし、エヴァンゲリオンの記事でも少し紹介した宮嶋天皇のカメラワークも素晴らしい。脚本といい、演技といい、美術といい、音楽といい、全てが完璧で個人的に最も好きな映画です。

 

 

 

 

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もう一つ補足しておくと、関ヶ原の戦い徳川家康福島正則に先鋒を命じるんですね。それを不満に思っていたのが井伊直政です。もともと福島正則豊臣秀吉の腹心だった男です。だから彼に先頭を走られるのが嫌だったのでしょう。そして井伊直政は家康の愛人とも言われています。家康にカッコいいところを見せたかったのかも知れませんw。それで井伊直政は出し抜くんです。

ですから両者にはちょっとした因縁があったのです。

この映画は橋本忍のありったけの想いが詰まっています。女性や子供が病気で、飢えで死んでいってるのに、侍や武士道がそんなに偉いのか、ひいては戦争に走り、あれだけ国威発揚しておきながら、どれだけの人間が責任を負ったというのか、負けが確定してるのに玉砕に走った政権批判をしつつ、ラストの津雲の行動は亡き戦友と、そして共に散ることができなかった橋本忍の想いが詰まっていると思います。

 

 

監督の小林正樹は捕虜として終戦を迎え、橋本忍も鬱屈を抱えたまま生きながらえて、さらに主演の仲代達矢も戦争中に爆弾が降ってる中で逃げ惑い、空襲が終わったと思ったら、一緒に逃げていた親戚の女の子の手だけを握りしめていた経験があり、皆、大きく戦争によって人生を歪められた過去があります。

 

日本の俳優では三船敏郎が1番有名だと思いますが、色々な役をやってきたという点で言えば、志村喬仲代達矢かなと思います。

 

ま、その分、仲代達矢は走ってくる戦車の下をくぐり抜けたり、火薬がどこに仕掛けてあるかわからない中を走り抜けたり、この切腹という映画でも、本物の剣を使って立ち合いをしたり、死にかけながら様々な役をやってきた人ではありますが笑、その仲代達矢が唯一やらなかった役が、正義の役だと言います。

これだけは絶対に引き受けなかった。それはもしかしたらまだあの時に握りしめていた女の子の手の記憶が残っているからかもしれません。

 

 

いずれ仲代達矢の映画の記事もたくさん書きたいなと思います。

 

彼らを含め、多くの映画に携わった人間は戦争に行っています。戦争の是非は置いておいて、その犠牲になった国内、海外の一般の人々の想いも含めて、是非見てもらいたい映画です。

 

 

10.黒澤明の一生と、生きる

 

 

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いくらなんでも長すぎますね笑。すいません。これで最後にしたいと思います。以上をもってグラントリノから遡る映画史を終わりにしたいと思いますが、ラストはその後の黒澤明の一生と題して書きます。

 

赤ひげをラストに三船敏郎黒澤明は別れます。

 

そしてハリウッドから映画制作の依頼を受け、いよいよ本格的に世界進出となる筈だったのですが、うまくいかず、監督を降板します。

そしてその後にどてすかでんという映画を制作します。これは個人的にもとても好きな映画なんだけど、ヒットせずに大赤字になってしまいます。この時、黒澤明は独立して自分の会社で制作していたので、かなり意気消沈してしまい、なかなか映画制作が出来ずに自殺未遂をするまで堕ちてしまいます。

 

その後、ソビエトから映画の依頼を受けてデラスウザーラという映画を作り、そこからまた骨太な映画を作り続けます。影武者、乱、夢という作品ではスピルバーグやジョージルーカス、コッポラなどが資金援助をしたりするんですね。

どれも大好きな作品ですが、やはり三船敏郎と別れた後は娯楽作品よりも悲劇的なエンディングをむかえるのが多いかなと思います。

 

テレビ時代の台頭と国内の交通網の整備が進み、映画のみの娯楽だった時代は終わりを告げようとしていました。

天国と地獄という映画では、俺は流行りの靴なんか作りたくない、デザインが悪くとも良い靴を作るだと三船敏郎が言っていますが、これは黒澤明が安い映画なんて作りたくねーんだ、ちゃんとしっかりした映画を作りたいと言っているようにも聞こえます。

しかし時代の流れは加速していき、骨太な人間ドラマよりも、もっと明るく軽く、雰囲気が良いドラマを人々は求め始めるんですね。

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黒澤はハリウッドで映画制作をしたい想いもあったろうけど、日本の映画/美術の底上げを考えていた人であったにも関わらず、時代はそれと真逆の方向に舵を切る形になっていきます。

そして皮肉な事に、黒澤や橋本忍が考えた物語の構成や設定が安く消費されるような形になっていってしまいます。

影響力があればあるだけ、消費されるのも激しい。

黒澤明の最後の作品は、まあだだよ、という作品です。これはまだ俺は死なないよ、まだ終わらないよ、と言っているようにも思えて仕方がない。

 

大作を制作する代わりに大金が飛び、長い撮影によって俳優のスケジュールは抑えられ、だんだんと人が離れていく。本来なら、あのまあだだよにいた先生の姿こそ黒澤明そのものだったはずです。デラスウザーラもあの極寒の中でも生き生きしていた老人は黒澤にも見える。あの凍てつく寒さの中でも堪えて生き抜き、壮大な景色を俺は作りあげてきたんだ、でもその自然の中で、映画以外の世界で俺は何をすればいいというのか、圧倒的なスケールと骨太なヒューマンドラマの中に黒澤のうめき声は確かに聞こえる作品です。

 

本当に皮肉だなと思います。七人の侍でラストで志村喬が言うセリフが跳ね返って黒澤明の人生に当てはまってしまうという事実。外側から見るとそういう風に見えてしまう。

 

でもそれは黒澤明だけでなく、自分達自身の生活そのものも、消費されていく方が大きいという事実がある。

 

 

 

ただその後に生きるという作品を見ると違って見えてくる。生きるという映画はとても斬新だなと思います。

本来なら役所を退職寸前の人間が癌の末期を告げられるよりも、ハンサムな若い子が癌になるという設定の方が、観客のウケはいいはずです。

でもそれはしないんですね。仮にそれをしてなくともストーリーの王道といえば、ジーさんは絶望していたけどやる事が見つかって一生懸命働きながら、家族は最初は動かないでくれと止めに入るけど、やがて家族も職場の人間も共感してなんとか夢を実現させよう、この人のためになろうと働き、家族も職場も死にゆく者のおかげで環境が変わり、最終的には夢を実現してみんなに愛されながら、ありがとうありがとうと言って死んでいき、お涙頂戴で終わっていくっていう、それが朝ドラ的な王道ストーリーだと思います。

 

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でも黒澤明橋本忍はその構成を全て否定するんですね。息子は最後の最後まで親父がどんな想いでいたかわからず、親父もちょっとしたボタンの掛け違いから誤解を解こうとすらしない。

 

職場も何かが変わったかというと、結局何も変わらないまま終わっていく。徹底して美談にしないんですね。そうではない、と。

 

たとえ家族が理解ができないからといって、お前がやりたい事をやらない理由になるのか、会社が、社会が変わらないからといって、自分のやりたい事をやらない理由になるのか、と死にゆく者を通して語りかけてくるのです。

そして何もしない事以外は過激行為だという、役所の体質、それはすなわち社会の体質そのものであり、こんな悲劇はないと黒澤明橋本忍は思っていて、そんな悲劇を当たり前に受け入れてる人間達に、志村喬演じる渡辺の一生を語らせる事に意義があり、またその悲劇を喜劇にして見せる事こそ大切な事だと思ったんだと思います。

 

 

 

 

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そして志村喬はぬるりと気持ち悪く演じます。

死を前に怯え、慌てふためき、泣き、そして脅されても不敵な気持ち悪い笑顔を浮かべる人間そのものを演じたわけです。人間とはそういう者だ、と。

 

 

あの水を飲むシーンは個人的に最も美しいシーンだと思うし今後先、色々な映画を見てもそれをくつがえるような映画に出会う事はないでしょう。

 

黒澤明橋本忍結核で2年しか生きられないと宣告された人間だと知った上で脚本を託したわけですね。

 

 

黒澤明は影響力が大きいだけ消費も激しかったけど、誰よりも生き抜いた人生だったと思います。

 

ま、とにかく役者が全員上手いですね。もうみんなで飲んでるシーンとか、あの酔っ払いのクズ感がもう笑えるのなんの。俺はいっさいアルコール飲料は飲まないので余計にわかる笑。

いるわ〜こういう酔っ払い、親戚とか会社にもいるわー、こういう上司。マジで腹立つ〜っていう笑。

すごーく地味なんだけど、ホントめちゃくちゃ酔っ払いの演技がみんな上手いんですね。

 

実際、左卜全/左ボクゼンという人が泥酔して危うく喧嘩になりそうなシーンで、隣の日守新一がちょっと横向いたり下向いたりしてるんだけど、あまりに左卜全の酔っ払いの演技が面白すぎて、笑いそうになってるの堪えてるように見えて仕方ない笑。もう何度となく見てるからそういう所を見てしまうんだけど、左卜全と菊池実は本当にいい演技してます。

 

というわけで、ながーーーーーーくやってきたグラントリノからみる映画史、それはたったの1ページくらいでしたが、振り返ってみました笑。これはあくまでクリントイーストウッドから黒澤明に絡めた歴史だったのですが、東映東宝松竹から振り返る映画史もできるし、ヒッチコックからみる事もできるのでいずれゆっくりやっていきたいと思います。ちなみに昔の黒澤明をはじめ当時の映画を見るなら字幕をつけてみる事をオススメします。

 

 

絶賛子育て期間中で映画はなかなか見れませんが、それでもちょくちょく見たりしてるのでオススメ映画や海外ドラマそして豆知識とかを次の記事にUPできたらな、と思っています。なにぶん忙しいので分かりませんがw。

 

クリントイーストウッドにさんをつけると変な感じになる。イーストウッドさん、みたいな。で、クリントイーストウッドにさんつけないのに、黒澤明さんとか橋本忍さんとか言うのはおかしいかな、と思って呼び捨てにしました。あい。

 

154.グラントリノからみる映画史

 

 

エヴァンゲリオンの劇場版を見ました。

 

 

宇宙戦艦ヤマトウルトラマンなどオマージュ=おまじない、を通して過去の特撮を含めた美術の技巧、シンメトリー/左右対称やフィボナッチ の黄金比率などこれでもかと映像に乗っけて、通過儀礼/儀式を果たして立体的な戦闘シーンを通して新たな地点にこの映画は到達させたなと感じました。

 

エヴァを通して市川崑の芸術性に尋常じゃないくらい惹きつけられてるのだな、と感じていましたが、見事に昇華した上で新たな地点に辿りついてるし、このエヴァを通して映画/美術に生きる庵野秀明にとって新たな地点に到達する事が絶対条件だったのではないか、と思うくらい美術は素晴らしかったです。

このあとにスターウォーズの戦闘シーンは見れないですねw。それくらい差がついてるし、写真が趣味な人は是非見てもらいたいと思いました。ストーリーに関しては、Q以上は求められないので、不可もなくといった感じでした。というか色々と感じた事がありましたが、まずは見てもらいたいのでテレビ放映とかする時に書けたらなと思います。

 

以前、140.エヴァンゲリオンの見た感想というのを記事にしました。庵野秀明監督が影響を受けたであろう市川崑監督の過去、そして妻の由美子夫人と和田夏十という名義で共同脚本をしていた事など、エヴァンゲリオンの人物と照らし合わせるとこんな感じになるという事を、ザッと書きました。

 

市川崑作品は妻の由美子夫人がいたからこそ素晴らしかったが、癌によって由美子夫人が亡くなったあとの作品はその輝きは失せてしまった。美術の観点から市川崑作品に多大な影響を受けていた庵野秀明は大きな喪失感と無力感を感じてしまい、それがエヴァのQに色濃く出ている、そして市川崑作品や周辺の人々を知っていると、ゲンドウ、シンジ、綾波レイやアスカといったキャラクターと照らし合わせて相関図ができてしまうという事を書きました。

 

 

あくまでエヴァの映画しか見たことがない自分の感想なので、推測があってるかどうかはわからないけど、興味がある方はこちらをご覧ください。

 

https://moonpix.hatenablog.jp/entry/2021/05/02/230030

 

 

それで自分の好きな映画をこれから色々と書いていこうと思っています。

歴史が大好きで、お気に入りのポッドキャストの番組、コテンラジオさんは仕事しながらよく聞いてるのですが、Spotify限定でもやっていて、手塚治虫のエピソードを聞き終えました。とても良かった。

それであらためてもう一度アメリカ史を聞きなおしていたら、番外編でグラントリノの事を語っていたので、このグラントリノから映画史を振り返ると映画においても世界においても最重要な1ページが振り返られるし、クリントイーストウッドの映画の向き合い方となぜグラントリノを製作しようと思ったかわかるし、相当面白いと思うので書いてみようと思いました。

 

あらかじめ注意点を書いておくと、グラントリノのストーリーのネタバレはしませんが、なぜクリントイーストウッドはこの映画を作ろうと思ったかを深掘りして書くので、本質的なネタバレはします。

そしてイーストウッドが影響を受けた映画を書く際に、どうしてもあらすじを書かなければなりません。

黒澤明の生きると七人の侍という映画はネタバレするのでご了承ください。

 

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さてクリントイーストウッドは最初ジャズピアニストとして成功を収める事を夢に見てました。実際にシアトルではクインシージョーンズと交流があったみたいですが、諦めて俳優の道を進みます。そしてある時、イタリアで作られる西部劇、通称マカロニ/スパゲティウエスタン、荒野の用心棒に出て一躍有名になります。

そのウエスタンは黒澤明用心棒をモチーフにした映画でした。イーストウッドはそこで三船敏郎の役を演じる事になるんですね。

 

そしてこれがきっかけでイメージが固定化されてスターの階段を登ると同時に、ある贖罪の意識にもかられてしまうのです。

 

グラントリノという映画は、その三船敏郎然として、そのイメージが固定化して生きてきた事に決着/ケリををつけ、贖罪を果たすという側面がある映画なのです。

 

ここで黒澤明三船敏郎の関係を簡単に説明しておきたいと思います。黒澤明は実は三船敏郎を通して人間の成長段階を描いてきたんですね。

 

酔いどれ天使という映画では三船敏郎はチンピラのボス役で、野良犬という映画では新人の刑事、そして七人の侍では侍になりたがっている百姓、村人を守る役を演じて、天国と地獄では会社の重役で人々を導く役を演じ、最終的に赤ひげでは医者の役を演じて人々を癒す役を演じてます。

 

チンピラから始まり人々を癒す医者を演じる。人間として成長段階を黒澤明は描いたわけです。

 

 

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グラントリノのストーリーは頑固なじーさんが息子とはうまくいかず隣に引っ越してきたアジア人と交流を果たして、人間的に成長していく物語なわけです。つまりグラントリノは、イーストウッドは自分の人生と黒澤明×三船敏郎コンビの映画を重ねつつストーリーを展開していってるんですね。そしてさらにもう一つ大きなトピックがあって、この酔いどれ天使、野良犬、羅生門七人の侍などで上司役として、悟す役としていたのが志村喬/シムラタカシです。

この志村喬の代表作ともいえる作品が、黒澤明監督で作られた生きるという映画です。

グラントリノはこの生きるという作品を下敷きにしてる部分があるんですね。

 

生きるというコメディ映画のあらすじを書きたいと思います。

 

 

 

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役所勤めの渡辺はある日病院に行き、がんの末期を宣告されます。あまりに唐突なことに途方に暮れ、息子に告げようとしますが、食い違いが生じて聞いてもらえず彷徨います。そしてある日、役所で働いていた若い女性に出会います。

その女性は靴下も買うお金がないけど、戦争は終わり、爆弾がもう落ちてこない日々を天真爛漫に生きている。

役所という場所は、何もしない事以外は過激行為という名ゼリフが劇中で菊池実が言いますが、見て見ぬふりをして問題をたらい回しにするような、組織の、あるいは社会の典型的な人であった渡辺は、彼女に強く惹かれつきまといます。

最初は美味しい物を奢ってくれるじーさんだと女性も喜ぶのですが、やがてウザったくなり、二階建ての大きな喫茶店でもうやめて欲しいと言います。

何もしてこなかった渡辺は、絶望し打ちひしがれるのですが、ハッとして、俺にもやる事があると気づき、喫茶店の階段を駆け降りて行きます。

この時に隣の席では学生の団体がいて、バースデーパーティーを催そうとしていました。誕生日を迎える学生が来るのを今か今かと待っていて、その子が来た時にバースデーソングを大合唱します。

そしてバースデーソングを大合唱してる最中に渡辺が、死にゆく者がまるで生まれ変わったかのように階段を駆け降りていき、生を謳歌してる若者が階段を駆け上がっていく。そんなストーリーです。

 

グラントリノのストーリーでは、息子夫婦とのすれ違い、誕生日会、階段などがうまくモチーフにされてます。そしてイーストウッドの演技も節々で志村喬さんのあのぬるりとした気持ち悪い演技を参考にしてるところがあるように感じられます。冷凍庫を運ぶシーンとかは、ニヤッとさせられます。それに女性役もどことなく生きるに出ていた小田切みきに似ています。

 

つまりグラントリノでは強さとはなにか、血縁関係でもなくても人種が違っても友情は成立するのか、などがテーマになっていますが、裏ではイーストウッドは明確なメッセージを残しているんですね。

 

それは三船敏郎然として生きてきた俺が、これからは上司として存在した志村喬のポジションにいって、生き様を見せるという事です。まー、メッセージではないか。なんというかそういう構成がしっかりと組み込まれているという事ですね。

 

ここでこぼれ話になりますが、三船敏郎の人間の成長物語で最後に医者になって人々と癒す役を演じるのですが、ジョージルーカスはさらにそこからステップアップした役を演じさせようと思って三船敏郎に依頼しました。

スターウォーズのオビワンケノービ役です。オビワンケノービは神のチカラを宿すジェダイの騎士です。オビワンは若きジェダイの騎士になりうるルークスカイウォーカーを、若き者を導く者として存在しています。

つまりルーカスは人々を癒す役をやった三船敏郎を、神格化したポジションにして人々を導く役をやって欲しいと思ったんですね。

残念ながらそれは叶いませんでしたが、ジョージルーカスにしても三船敏郎黒澤明という存在がどれだけ大きな存在だったかがわかる事例だと思います。まぁそれでも黒澤明隠し砦と三悪人をモチーフにしてるのは間違いないですよね。

姫さまを中心として国を建て直すというストーリーはスターウォーズにも当てはまるし、菊池実がC3POである事は間違いないですね笑。

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もう一つ補足というかな、生きるという作品をモチーフにして最近作られた作品があります。それはブレードランナー 2049 です。

先ほど書いた誕生日、階段のシーンがあるし、叶わない恋愛に主人公の生き方や雪の印象的なシーンなど類似点が多いですね。生きるは恋愛物語ではないですけど、いずれにせよ生きるという作品を見た後にこのブレードランナー 2049 を見るとラストが味わい深いものになると思います。

ま、もともとブレードランナー 黒澤明の野良犬をモチーフにしてますが笑。

 

 

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2.黒澤明作品について

 

グラントリノ三船敏郎から志村喬へ、という構成が組み込まれている事を書きましたが、ではここで黒澤明作品を振り返る事でよりクリントイーストウッドや映画の歴史がわかってくるので書いてみたいと思いますが、戦前から振り返るとあまりに長くなるので今回は大枠でどんな流れがあったか書いていきたいと思います。

 

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で、その前に少し当時の背景を書きたいと思います。太平洋戦争が終わった当時、唯一の娯楽が映画だったのですが、やがて戦後復興しながら朝鮮戦争による特需によって終戦後、1945年には800館しかなかった映画館が1954年には5000館まで建てられます。

そして日本経済は駅近くに映画館が建てられ、その周りにデパートができたりして大きく経済が動いていくんですね。

 

 

 

いかに映画がチカラを持っていたかという事なのですが、それによって土地の値段も高騰して不動産でも儲けるという実体もあります。終戦後はGHQが日本を統治します。映画の世界にもGHQの検閲が入るのですが、基本的に暴力描写はダメでしたし、戦争中に時代劇を使って国威発揚をしていた事もあって時代劇も作るのが禁止されていたんですね。仇討ちものも多かったので、アメリカに対して仇討ち感情も高まるのを恐れていたところもあったみたいです。

 

映画といえば時代劇、それが大正末期から当たり前のように製作側も見る側もあったのですが、それが作られないし、映画館はできてるのに、時代劇がないというのは相当ストレスがあったと思います。

 

あと今は吉本だとかジャニーズだとかそれぞれの事務所にスターや有名タレントがいますが、この時は松竹、東宝東映大映と映画会社ごとに専属のスターがいて、そのスターを中心に映画が製作される体制だったんですね。

そしていよいよ1950年代になって時代劇が作られる事になります。ここから時代劇を中心として三船敏郎、通称ヨロキンこと萬屋錦之助よろずやきんのすけ、市川雷蔵勝新太郎というスターを中心に日本映画は発展して、世界中にも多大な影響を与えていくのです。

 

個人的にはこの中では萬錦が好きなんです。子連れ狼をはじめ反逆児、武士道残酷物語そして宮本武蔵など大好きな時代劇ばかりです。

あー萬錦語りたい笑。

 

 

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それは置いといてここから黒澤明作品を振り返りつつ世界中に、イーストウッドにどう影響与えていったかを書いていきたいと思います。

戦後、黒澤明は我が青春悔なしという作品と、素晴らしき日曜日という映画を作ります。これからは女性の時代だよというメッセージ性のある映画です。特に素晴らしき日曜日のエンディングは初めて見た時は面食らいました。

戦争が終わって、何気ない日常の尊さを描きながら、これからは明るい未来を想像しようという作品です。とても大好きな作品なのですが、この作品を撮ってる最中に東宝の撮影所に撮影助手として応募してきたのが三船敏郎なんですね。

 

ただこの時に東宝側は三船敏郎のハンサムな写真を見て俳優志望と勘違いしてしまったのです。そしてこの行き違いで三船敏郎は断って帰ろうとするのですが、気に入ったオーディションの選考委員が、このオーディションを受けてくれと言います。

 

渋々受けて、なんだか凄い奴がオーディションに来ているということを知った黒澤明はオーディションに行くのですが、この時に三船敏郎を見た黒澤明は衝撃が走るんですね。

 

洋服も和服も似合う。日本人離れした顔立ちがハンサムであるし、ヒゲをたくわえれば野性味ある役も演じられる。身長も高い。そして初めて演技をして照れているのを隠そうとする姿も可愛いらしい。

黒澤は完全に惚れたんだと思います。そして女性向けやラブストーリーの映画を2本作っていたのですが、ここからハリウッド、世界に負けない娯楽大作を作るんだと一気に舵を切りかえる事になります。

 

 

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そして酔いどれ天使、野良犬などで三船敏郎は野性味あふれる役を演じます。大きな反響を得て、次に羅生門という映画を作ります。

ここで日本、世界にとってもヒューマンドラマを題材にした映画では重要な存在になる橋本忍が脚本家として採用されます。

 

そしてヴェネツィアで金獅子賞を受賞して一躍有名になります。これで日本の映画は国際的に注目を浴び、日本も世界を意識して作る事になっていきます。

日本にとっても世界の映画史にとってもこれは大きな事でした。

 

そして生きるというコメディ作品が作られ国内、海外で大きな反響を得て、いよいよ黒澤明の全盛期に突入していきます。これから黒澤明の製作する映画は、世界にとっても大きい事でした。それは日本の時代劇の解禁から始まるんですね。

 

映画会社も大衆も大正から映画といえば時代劇でしたから、ここに来て遂に時代劇が作られる、観れると期待が高まり大映東映、松竹、そして東宝は資金をふんだんに使って映画製作をしていく事になります。

特に東宝労働争議という、会社上層部と労働組合が労働環境問題でストライキがあったりして、映画製作がストップしていた状態でした。

この間に東宝系列の映画館は東映に貸していたのですが、ようやく労働争議も妥結していよいよ映画製作、それもヒットが見込める時代劇で会社を一気に復興させようと目論んでいました。

そして会社の立て直しと同時に、大衆に新しい東宝をアピールするために多額の予算をかけ、世界的な名声を得ている黒澤明に作品を託す事になるのです。それが七人の侍なんですね。

そしてもう一本製作される映画があります。子供連れのファミリー層にも受ける映画をという事で、ゴジラが作られるわけです。志村おじさんは大忙しです。

 

東映以外の映画会社は子供向けの映画は製作されていませんでした。邪道と思われていたんですね。しかし新興映画会社だった、新しく作られた映画会社だった東映は上映する場所もなく、さらに借金も多額だったので文芸、芸術作品など作られるわけもなくて、子供向け、ファミリー層向けに映画が製作されていくわけです。

質より量、それも子供が毎週見に来てくれるように、ストーリー途中で終わって続きはまた来週みたいな展開で金を稼いでいくわけです。

 

ま、これがスターウォーズ三部作とかになっていくわけですが。

 

そして東映の2枚目俳優を起用して子供の母親のハートを掴みつつ笑、子供が夢中になるようなアクション喜劇で大ヒットするわけです。それは今でも東映の理念になってると思うし、子供の親のハートを掴みつつ子供も観れるシリーズを作るというのはここから来ています。他の映画会社もファミリー層を意識して、東宝はそれでファミリー層向けにゴジラを製作するというわけです。

 

3.七人の侍によってもたらされた変革

 

 

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1).黒澤明の撮影技

満を辞して七人の侍が作られるのですが、面白いけど、何がそんなにすごいのかわからないというのが、今の人達の感想になるのではないかと思います。少なくとも俺はそうでした。

しかし歴史的な背景と製作環境を理解するとよりこの作品の破壊力がわかると思います。

 

まず撮影環境と撮影方法なのですが、

一言で言うならば誰もが嫌がる方法で撮影してるという事に尽きると思います笑。

 

例えば西部劇なんかは土煙が舞うような、雨の降らない場所で撮影するわけです。ハリウッドなんかはカルフォルニアですからあまり雨は降らないわけですね。しかも今では防塵防滴/ぼうじんぼうてき、というホコリにも水に濡れても大丈夫なようにカメラもレンズも作られているけど当時はなかったはずです。そしてカメラのバッテリーは大きいし、下手に濡れたら引火する可能性もあります。

 

何よりスマホで雨を撮影してもらえばわかると思いますが、雨は写らないんですね。よほどの土砂降りでない限り、雨は写らない。

 

七人の侍では土砂降りの中で合戦が繰り広げます。よほどスタッフが水を用意して放水したのだと思います。まー過酷ですよね、これ。冬にも撮影してますから。スタッフも俳優も。

 

雨を効果的に使ったり自然現象を巧みに主人公や人々の心理として重ねて描く、例えば大雨を使って心が泣いているとか、太陽を映してどこに行っても逃れられないとか、そういう表現方法を確立して芸術的な段階に映画はステージを上げていく事になるし、黒澤明はそういった面で、映画というものを総合芸術として押し上げたとても大きな存在だったのは間違いないと思います。勿論、全て彼がやったわけではないですが、もともと画家志望だった彼の表現方法は、他の映画監督とは視点が違っていたのは確かだと思う。

 

写真が趣味で見ていると、乱という作品なんかつくづく絵画的発想だなと思うし、生きるという作品も写真を撮る人ならブランコではなく公園を見渡せるベンチに主人公を座らせて撮るのではないかとか考えます。

 

ま、黒澤に言われる側は相当大変だったろうと思います笑

 

 

 

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撮影方法も俺ならボイコットする笑。

俺も写真が趣味でこうやってブログをやっているのだけど、映画を見るときはやはりどういう風に撮影してるのか、とか構図がとても気になります。そして黒澤明は本当にあり得ないなと思う笑。

まず黒澤明は望遠レンズで撮影しているんです。三船敏郎をはじめ俳優の顔のアップのシーンを撮りたいからだと思うのですが、普通のレンズだとかなり近くで撮影しなければいけなくなります。そうするとアクションが死んでしまうから迫力があるシーンが撮れないわけです。だから遠くから望遠レンズで撮影するのですが、皆さんも経験があると思いますが、スマホで遠くからアップで撮影するとピンボケしてしまいがちだと思うんですね。

これは構造上、仕方ない事なのです。だからそうならないように、照明を盛大につけて周りを明るくしてピンボケしないように撮影するわけです。これが日中なら太陽の明かりもあるからいいですが、撮影が長引いて夕方になるとか、曇りとかになると照明の調整が難しいんですね。しかもデジタルと違ってフイルムだと撮ったものをその場で見返す事はできないから、一枚の写真ならまだしも一本の映画だと映像のトーンといえばいいか、暗かったり明るかったりしたらダメなわけです。

さらに例えば暴れん坊将軍水戸黄門を見ればわかりますが、

基本的に主人公はあまり動かずに敵役が動いて斬りかかり、それをバサバサ斬っていくのが基本なんですね。

これは海外のアクションなんかもそうなんですが、何故かといえば、なるべくピンボケさせない為です。今のスマホでも動いてく人に自動で焦点を合わせてピンボケをふせいでくれたりしますが、当時はそんな自動で焦点を合わせる機能なんてありません。全て手動で調整します。

だから主人公が動かずに敵役が動いて斬りかかるわけです。

しかし黒澤明は違う笑。三船や俳優が動いて斬りかかるんですね。だからピンボケしがちな状況を作っているし、しかも遠くから望遠を覗いて撮影してるから雨の撮影とかはよく見えない事もあったろうから相当大変だったろうなと思います。そしてフイルムですから見返すことができません。苦労は今の何十倍もあったろうな、と察します。

 

 

 

このように撮影方法と撮影環境ではこんな感じです。多分海外の映画制作してる人達はビックリしたと思います。

 

なんだこれ、雨の中撮影してんぞ、どうやって雨を映してんだ?まさか放水してんのか?このアップはどうやって撮ってんだ?まさか望遠レンズで撮ってんのか?どんだけ照明つけてんだ?おいおい火事になるぞ?あー、雨を使ってこういう表現の仕方があったかなるほどな〜、でもこんなの監督が俺らに要求してきたらたまったもんじゃねーぞ、って思う人はいたと思います笑。

 

 

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2).娯楽性と社会風刺

 

七人の侍の見所はなんといってもそのストーリーだと思います。娯楽性のあるストーリーに

痛烈な社会風刺が盛り込まれています。

 

農民が農村を野盗から守るために侍に助けを求め、七人の侍がその助けに応じながら、やがて身分を越えてお互い助け合いながら野盗と戦うというストーリーです。

一見、人間に身分なんて関係ない、共に戦い、共に生きようという美談めいたストーリーに見えますが、そうではないんですね。

 

農民は国民/大衆そのもの。何もしない事以外は過激行為と知らぬ存ぜぬで何かあっても見て見ぬふりをする。そういう国民だから、そういう社会だから太平洋戦争になったのだし、たくさんの犠牲者が出たのではないかと突きつけてきます。

では何故、そんなに見て見ぬフリをし、ビクビク怯えながら他人の目を気にするように生きるように大衆はなったのか。それは侍が戦って大衆の生活をボロボロにするからです。

そして別に七人の侍も一人の若き侍以外は、村人のために戦うという風に思っていないんですね。

世界的に見ても夏から秋は食べ物を収穫する時期ですから、国、地域で争い事をする事はないんですね。収穫が終わってから戦/いくさをしようか、という流れがありました。

 

一人を除いて6人の侍は来たる争い事で殊勲をあげて、あわよくばどこかの殿様に召し抱えてもらおうという腹づもりなんですね。

侍社会も武士道とか綺麗事を言いますが、食えなければ背に腹は変えられない、現代の事情と察して変わらないということです。

そして秋まで農民が飯を食わせてくれる。この一件が終わるまで食いっぱぐれる事はないし、それに志村喬演じる勘兵衛という頼り甲斐がある男がいるから、この男の指示に従っていれば死ぬ確率も少なくなるのではないか、と考えているわけです。

 

お互い相容れない同士だけど、物語は進み、最後はどうなるか。という事なんですね。

 

徹底した構成があって物語は進みますから当然、合戦の時はリアルな戦いになる。雨の中泥まみれになりながら、1人また1人倒れて死んでいく。

三船敏郎は髭面/ヒゲヅラで汗をたらし泥まみれになりながら走りまくる。

こんな映画はなかったんですね。

 

 

あらためて見てみると、見えない所から銃声が撃たれるシーンとかは実際に戦争体験に基づいたものなのだろうな、と思います。この時スタッフや橋本忍なんかも戦争に行ってますから、やはり体験が盛り込まれていると思います。三船敏郎も特攻隊の記録係をやってましたから、みんな知ってるんだと思います。

 

 

 

ロマンス主流かちょっとした特撮映画はあったけど、基本的に美男美女が甘い物語をするのが一般的な映画文化だったんですね。

そこに泥まみれの人間が生命力あふれるままありったけにスクリーンの中を縦横無尽に走りまくったわけです。

 

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ちなみにこちらが1954年に作られたハリウッド映画です。

ヒッチコックは二本上映されてるんですね。ボックスセットが欲しい笑。

まー今は美男美女なんて言い方はよくないと思うけど、やっぱりこういうポスターからも潮流が読み取れるかなと思います。

 

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ま全然違いますよね笑。三船敏郎の汚い顔に比べてこの時代の潮流映画とは笑。

 

 

いよいよ時代劇を待ち望んだ大衆は、見た事もないこの映画に度肝を抜かれました。

勧善懲悪よろしくチャンチャンバラバラやるのがチャンバラ映画だけど、これはなんだ?チャンバラ映画と言っていいのか?とても衝撃だったと思います。

 

海外でもこの娯楽性と社会風刺が同時にコインの裏表のようになった映画に驚き、天候や自然の事象を巧みに芸術的な表現として昇華させてる作品にただただ感嘆したと思います。

 

そしてこの映画を見たらもう勧善懲悪な一辺倒な物語やロマンス映画は、子供じみていて作ってられない、見てられないと一気に映画を見る水準が上がったと思います。

 

 

この映画公開は1954年でした。アメリカで公開されたのは1956年、2年後でした。ちょうどマーティンルーサーキング牧師を中心とした公民権運動がうねりをあげて活発化されてくる時代でした。この運動によってさらに人権意識がより高まるのですが、この時に上映されたのが七人の侍だったんですね。

この映画がどれだけ影響を与えたかはわかりませんが、この時代、あらゆるものが変わりつつあったのかもしれません。

スパイクリーは1990年の音楽雑誌にブルースリー黒澤明七人の侍にはとても影響を受けて、俺やブラックカルチャーに大きな影響を与えていると答えているのはとても印象に残っています。

それがきっかけで黒澤明に興味を持ちました。

実際、彼の映画には黒澤明の遺伝子側強く見受けられます。

 

1956年に公開されてこの物語に取り憑かれたのはスパイクリーだけでなく、スピルバーグ、ジョージルーカス、マーティンスコセッシ、フランシスコッポラ、そしてクリントイーストウッドが挙げられます。

彼らやロバートデニーロやアルパチーノなど多くの名優達もこの映画を見て、新世代が動き出していきます。

 

そして黒澤明の快進撃は続き、時代劇ではこの後、立て続けに傑作を出して、作る側も見る側も見る水準が一気に上がり、時代を変えていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

次回に続く。

 

 

参考文献

 

あかんやつら 東映京都撮影所血風録 (文春文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/B01N0NO8SV/ref=cm_sw_r_cp_api_glt_6Z41X319TSR3S9V72Y6P

 

 

 

 

 

 

153.波の声、森のささやきpt.2

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北海道は寿都町を離れて黒松内町のブナの森へ行った。前から来たかったが、予想以上に手入れされた林/森だった。

 

 

 


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木漏れ日が美しく、地面のいたるところで陽だまりができていた。静寂がそこにはあった。30度近くはあったが、林の中は20度近くでとても涼しく、ここから離れたくないと思った。ここは本当に手入れが行き届いていて驚いた。蚊はいてもアブやハエはいなかった。木々に根を這わせてしっかりと水と土の栄養分を取らせるために雑草などはきれいに取り除かれていた。故にハエやアブがいないのだ。

 

 


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奥へ奥へと歩いた。どこからか鳥がキツい声で鳴き始めた。長年自然の中で住んでいるとその鳴き方でわかる事がある。どこからともなく聞こえるその鳴き声は、周りに警戒を呼びかける声だった。

 

警戒しろ、見知らぬ者が森に入り込んできているぞ。だいたいこんなところだろう。

 

そうするとその鳥の鳴き声が周りに伝播して森の中全体に緊張感が生まれる。

 

かつて猟師/マタギは森の中に入る前は5日前から自分の身体に染み込んだ臭いを消すために水浴びをした。そうやって人間の臭気を消さない限り、森全体的が緊張して獲物にありつく事はできないのだという。そしてその事に気づかず普通に歩いてると、異物が森の中に入り込んできたと、熊に襲われたりするケースがあるのだ。

それぞれが単独種として生きているが、森はやはり全体で生きていると言える。

 

鳥の警戒する鳴き声を聞き、歩くのをやめてそこで息を整えた。釣りをする時に気配を消すように、静寂の中に溶け込むように息をした。

 

 

 

やがて鳥の鳴き声は止んだ。

 

 


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森の中にあった休憩所で横になり1時間ほど眠りについた。木々の葉が風に揺られて音をカサカサ立てた。歴史を感じる森の中で、どこか遠くまで来たが、戻ってきた感覚も憶えた。

両方とも当たってはいるのだろう。その真ん中でゆっくりと眠りについた。

 

 


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黒松内を出て静内の海にきた。

 

 


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以前このブログでも書いたが、マイナス15℃の吹きつける風をまともに浴びて、思考は止まり、感情は死に、結局何も残らず、ただ陸に打ち上がったオレンジのウキのようにただ起きている事象を眺めているような気分になった場所だ。

 

 
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ゴミが散乱していた。同時にここで生存競争に負けたオオワシを、痩せこけたキツネが引きずっていた。

 

痩せこけたキツネは歩いてる俺を威嚇してこれは俺のだと脅していたが、死んで凍ったオオワシの肉には到底、歯がたたなくて飯にありつける事はないまま、途方にくれながらこの世から去っていっただろう。

あの時に空に舞っていたキツネの命を狙おうとする十字架姿のオオワシが印象に残っていた。

 

結局、俺はここに住んでいるのは、田舎暮らしが好きだからではない。ただ死が身近にある所にいて感じていたいのだ。

自分が、人間がちっぽけな存在である事を。自然の中では何もかも不平等で、人間がどれだけ人智を尽くしても自然は、地球は、宇宙は人間の都合などかまってくれない。その事を実感できる場所にいたいのだ。

 

それを実感できるととても気が楽になる。

 

いつか死ぬのだからより笑って暮らせたら。ヒッチハイクで、あるいは多くの国に行って、時に嫌な思いもしたがたらふく助けてくれて、決して悪い世界ではない事を実感したからその世界を持続させたいのだ。

笑えるために世界を持続しながらも、死が来るまでここで待ちたい。そんなところだ。

 

昨日からメンタリストのdaigoの発言を考えていて、持ちうる知識を総動員したところで、俺の意見など論破されるだろう笑。

 

だが知識よりも経験に勝る言葉ほど信頼に足るものはない。

 

 

 


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2日前に彼があらためて謝罪した動画を見た。母親が見たらなんというか、その事を切々と語っていた。動画を通じて生活が困難に直面してる人にはとてつもない釘を打ちつけたのは間違いない。

 

これからも彼は十字架を背負いながら生きていく事になる。でもその一歩一歩が大切であり、それは俺自身にもかさなければいけない罪だとも思う。

まだ笑えるほど余裕がある世界ではないのだから。

 

彼の今後に期待したい。