息子達の保育園の迎えに行くのに2時間くらい早く出た。紅葉を撮影するために。
コイと金魚は紅葉の映る池の中を自由に泳いでいた。自分達がどれだけ美しく映る水の絵の中にいるか、知る由もない。
魚を見ながら、それは人間も一緒なのかもしれないと思った。
四次元空間から見たら、この三次元空間は平面になる。上という表現は正しくないが、上から見たらどんな気分になるのだろうか。
自分も人々も以外とやっている事はわかってないかもしれない。
今年出たこの三体という本は、もう読み終えて二周目になる。今日は上巻を読み終えて再び下巻を読み始めた。
この三体というSF小説は、今まで考えていた宇宙観をぶち壊すだけでなく、過去、現在、そして遠い遠い未来へと物語は果てしなく続き、とてつもないスペクタクルを感じさせてくれた。いずれ紹介したいと思うが、オススメの本だ。
その壮大な物語に、ため息しか出ない。
子供達を迎えて公園に再びやってきてコイを見せた。子供達は夢中で他に魚はいないか探し、やがて公園内を散策し始めた。
落ち葉が燃えカスのように見えた。物質があらゆる高みに達し、膨張してそこから一気に収縮して爆発して燃え広がる空間の後の燃えカスのように。
秋とはそういう季節に感じる。全てが成長して実り、やがて枯れていく。そして寒々しい冬が訪れる。
それは宇宙の過程と似ている。真空とは何も無い状態ではない。無いという状態は、無だ。
真空の中にも微量の粒子が存在してやがて結合などをしながら、高みに達してビックバンが起きる。
ある意味、シャボン玉を作っている最中だと言っていい。そしてその空間はとてつもない熱を帯びてはいるが、やがて冷えていく。
秋から冬になるように。
落ち葉を踏みしめる時、あるいは雪を踏みしめる時、いつからかそんな事を考えたりした。
子供が俺を呼んでいた。返事をしてそちらに向かう。
子供は落ち葉を、美しく燃えた灰を投げ合いながら笑っていた。
彼らの声はその空間に間違いなく誕生した事を叫んでいるように思えた。
もうすぐ、秋が終わる。