113. 海辺にて。 写真
再び二股駅に訪れて列車を待つ。キハなら良いのだけど。そんな事を思いながら、15分ほど撮影した。
もう少しブラブラと散策しようかなと思ったけど、大掛かりな除雪作業をしていたので、諦めて、駅の隣にあった廃屋を集中的に撮った。
廃屋を撮ってから、列車が来るのを待つ。
うーーーむ。この車体。ちょっとな〜笑。キハだったら今度脚立ハシゴとか持ってきて撮影するんだけど、これだとちょっと撮影する気が。都会ならいざ知らず、自然の中を走る列車となると風景に溶け込まないというかな。
長万部の国道を走りながら、最後に海辺を撮影する。波の音が響き、風が凍てついていてすぐに頭が痛くなった。雪が積もった浜辺に波が押し寄せて、浜辺には波と雪の色合いができていた。
寒さで感情そのものが消えていく。まとっている鎧そのものが剥がされていき、普段、気にかからない空や風に耳をかたむける。
凍てついた風の中を飛んでいくカモメがやけに魅力的に感じた。
雪と砂浜の境目に、凍りかけた水分に砂が付着していた。触るとそれは柔らかくすぐに形が崩れた。
頭の中で車の中で聞いていたoneohtrixpointneverのambien1という曲が流れた。
https://open.spotify.com/track/0ypbAyBENb0aeGbsCeSGCt?si=QV84HeG3Qpeuo40LfirTJA
たどたどしいメロディーが波と一緒に重なる。波となって流された水が凍えながら形作られていく。しかしそれに触れると形は崩れていく。
しばらく木に座って、漂流して打ち上がったオレンジのウキを見ていた。
人間は集合体だ。肉や骨、神経や内臓、それらが合わさった集合体。そんな集合体を一人称で呼ぶ矛盾。
そしてウイルスや菌を取りこみ免疫を作り、細胞もそれに合わせ順応していく。
人間のその一つ一つを解きほぐしていくと一体何が残るのか。
オレンジのウキ玉が、自分に見えた。浮いて、漂流し、砂浜に流れ着いた。
俺の見てる世界とは。俺の感じてる世界とは。
中身がなく、浮いてるだけというのは虚しい事なのだろうか。
俺はあまりそう感じない。むしろその方が楽だ。
人は生きることに意味を持たせ鎧を着込み、年月が経てばそれだけ自分の歴史と意義を正当化して維持していこうとする。
だが寒空の下で、感情が凍てついた風とともに吹き飛んでいき、着込んだ鎧が身ぐるみ剥がされていくと、残るのはポッカリと浮かぶウキ玉それだけだ。それをどれだけの人が見たことがあるのか。
打ち震えながら見て、歩きながらまた鎧を着る。
車に乗ってwoven songかける。あの映像のように。
祈りを打ち上げる。空っぽのウキ玉でも、祈りは打ち上げられて、夢を見ることはできる。
それだけでも風景の見方は変わってくる。
車を走らせた。
112.冬と鉄道と自然 写真
冬の鉄道写真を撮りたくて、北海道は黒松内へ行ってきた。コロナの事もあるのであらかじめ書いておくと、家から車に乗り込んで自動販売機で飲み物を買ったが、どこにも行っていない。
こういう事を報告するのもなんだけど、遊びといえば遊びなので、いちおう書いておきたい。書く必要はないけど寂しいですね。おそらく北海道も緊急事態宣言はそのうち出るだろう。
それまでにと言ったらなんだけど、人に会う事はないとはいえ、鉄道写真や自然風景などは撮っておきたいと思う。
長万部駅から黒松内駅行くまでにある二股駅。なんというか、秘境駅っぽい感じが出てると思う。とても気に入った。ここで普通列車が来る時間を調べた。そしてまだ1時間くらいあるので、国道を走りながら、スナップ写真を撮った。
あ、車は除雪を誘導する人の会社の車で、今年は雪が多くて正月休みがなかったとのこと。
黒松内はブナの自生林が有名で雪の季節は特に美しい。ぼた雪なら木に雪が付着するので、雪化粧をまとったブナ林は息をのむ美しさに様変わりする。
国道走るだけで3キロ近く走るだけで、撮れ高がある写真ある。地元民なら相当良い写真を撮る事ができるはずだ。
そして雪に大地がおおわれると、個人的には本当にモノクロ写真がはえる。曇りになると黒と白だけの世界になるので、ここに来ると、北海道に生まれて、雪国に生まれて良かったな、と思う。
下の写真は数年前に寿都町に行く際に撮った黒松内の風景写真。この時は音一つせず、本当に美しくてとても印象に残っている。そしてハヤブサが鳴きながら、川沿いを飛びながら消えていったのだけど、やけに幻想的に感じた。
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もうそろそろ来る時刻になったので、移動して待つ。富士フイルムxpro2 × xf35mmf2.0で一本勝負。最近35ミリは好きなレンズなのに使ってなかったので、今回は使おうと思っていた。
この場所にて試し撮りをしつつ待つ。
ここで予想だにしない事が起きた。
向こうから来たと思い写真を撮り始めた。しかし列車の顔面がキハとは違った。あれ?時刻間違ったかな?それとも除雪をするヤツか?と一度視認をしてしまった。これがいけなかった。
確か昨年まではキハだったような気がしたけど、車両が変わったのだ。それを知らなかった。
ちなみにキハはこんな感じだ。
どうだろうか。この列車が今回撮ってるシーンに走ってると風景に溶け込んで見えて気やしないだろうか?これを想像していた。
そして視認をしてあー、違うのがきたと思ってから慌ててファインダーを覗いたら構図が狂ってしまい、それでも走ってくる列車を写真に撮らないと、と思って撮っていたけどやっぱり違う感じになってしまった。
もともと鉄道写真はどうやって撮るか、構図がとても大事だと思う。全体的に自然の中で走る鉄道の写真となると、はっきり言って経験値が物を言うところがある。
特に雪によって全ての植物が消え失せて奥行きのある写真がより撮れる状況になってしまうと、美しく撮れる分、奥行きが感じられないと途端に見てられない写真になってしまう。
はっきり言って年に一度くらいしか鉄道写真を撮ってない人間などではここは難しいポイントではある。
まぁ、見ての通りだ。
去りゆく列車に、ちょっと笑いながら、こりゃダメだ、と思った。キハが来ると思っていたから、去りゆく列車を見ながら自然風景にあの車体はシンクロしてないと思った。
次にまた撮りたいかと言うと、正直微妙だ笑。キハなら何度でも来たいけど。
しかしもう一つの撮り方では自信がある。こちらはおそらく俺しかやらない方法だ。これならイケるのではないかと思う。また近々必ず来る。楽しみだ。
111.日常の風景 写真
昨日は一日中写真を撮っていた。満足いく写真は撮れたとは言い難いがw、それでも有意義に過ごせた。仕事終わりの19時半。今年に入って曇っていて星空が撮れない日々が続いた。オリオンの輝く姿を見て、急いで家に帰ってカメラを取りに行った。
ちょうだヘッドフォンで音楽を聴いていて、toolというバンドのpuneumaを聴きながら撮影をした。刻々と曇っていく夜空にオリオンが消されていく。
だが消えていく星々とは裏腹にpuneumaという曲は、クライマックスにいくにつれ、盛り上がっていく。それが劇的で美しくて。
朝の5時半、気温はマイナス4度。今年に入ってからマイナス10℃くらいだったので、寒い中でも暖かく感じた。
畜舎の小さな小屋のドアを開けると大きな氷柱ができていた。
流れ作業の最中ではロクに撮影は出来ず、数枚撮って、あとは太陽が顔を出した時に何枚か撮れればと思った。
陽の光を浴びた途端に氷柱はバラバラと崩れていった。仕事をしながら逐一見ていたが、いかんせん撮影できる状態ではない。それでもなんとか撮れたが、やはり写真で撮るよりも現実の方が数倍美しく感じた。
だがその時間もほんの数分だ。陽の光で輝いた氷柱も瞬く間に色褪せて、崩れていく。
そしてそれを見届ける事なく、仕事に戻る。少し罪悪感をおぼえた。大切な瞬間をいつも逃してる気がした。
せめてtoolの曲を聞こうと、puneumaをヘッドフォンから流した。
氷柱はやがて水になり、やがて海にでて蒸発して雲になり雨や雪になる。大いなる循環が、歴史を股にかけて回っている。
puneumaのメロディーがビートがそれに呼応して旋回しながら高みへと昇っていく。
日常の風景は変わらず静かだが、劇的だ。
110.冬を往く pt.3 写真
旧道、廃路を4キロ近く歩き、そして戻ってきたが、足早に歩いても1時間はかかった。15時半は回っていて、帰ったら休憩することなく仕事に取り掛からなければと思った。
振り返って海を見た。ファーストショット、最初の一枚目はここからの眺めだった。日は暮れて、太陽から雲が噴き出てるかのように見えた。
カラーか、あるいはモノクロで撮るべきか。一瞬迷ったが、それぞれモードを変えて一枚ずつ撮った。
この地を去る前に、どうしても海に太陽の光が劇的に落ちてる写真を撮りたかった。だが自然はそんな気の利いた事はしてくれない。
果てに行こうがそれはお前の勝手であって、期待に応える必要はない。
ファインダーを覗きながらその時を待ったけど、そうだよな、と思いつつシャッターを押した。
車に乗り込み、帰路へ。行きかけにあとで撮ろうと思ったポイントに車を止めて、写真を撮る。
もうこのトンネルのくりぬいた光窓から氷柱がぶら下がっているだけで、何かを暗示してるような写真になる。
行きかけの時から、最後に撮ろうと決めていた。
工事標識が落ちた看板。
まるで額縁だ。その額縁から最後に撮る風景はどんな写真になるのか。そんな事を思っていた。
最後に撮った写真は、いつもと変わらないの冬の海だった。
シャッターを押して少し眺めた。
どうやったらいいのか。額縁におさまらないような写真をどうやって撮ればいいのか。
叫ぶ海と、痛みが伴うような風。一瞬で消し去ることができる自然の猛威と、気づかぬうちに享受している身に余る恩恵の数々。誰もがインスタでアップするような有名な場所の写真は、正直あまり関心がない。
額縁におさまらない写真を撮るにはどうしたらいいのか。海の波が押し寄せ、こっちに来いよ、お前を飲み込んでやる、と脈打っているように見えた。
車に乗りこむ。burialのashtray waspという曲をかける。
この風景の中を走っていくのにとてもあっていた。音を大きくして、意識とスピードを飛ばして走り去った。
109.冬を往く pt.2 写真
カモメが向こうの海で飛び回っているのを見て、そこまで行ってみようと思い、すでに2キロ以上歩いた廃路をさらに歩いた。
もはや最果てにたどり着いた気分。どんどん人というものから一歩一歩階段を降りていく感じがした。途中のトンネルで見る窓といえばいいのか、そこから見る景色は何かを暗示してるかのように見えた。
だが、それは単なる妄想でしかない。最果てで、何かが起こる事はない。
いくつものトンネルを抜けて4キロ近く歩いたと思う。向こうにいたカモメは、もうすでに散開していた。
おそらくそこには小魚が集まっており、それに群がって大きな魚も来ているはずだ、と思った。
しかしその近くにくるともうすでにカモメはいなくなり、マイナス10℃を下回る気温の冬景色にただ1人、取り残されている自分がいた。
ここまで来たというのに。こんな地の果てに来たというのに。ひざまづいて息を整えつつ、水を飲み干した。
海を見た。波の音が盛大に鳴り響いている。疲れたが、気分は良かった。
しばらく海を見てると、カモメが飛んで来た。そしてゆっくり旋回してるのを見て、目をこらして海を見た。
いた。やはり、いたか。レンズを望遠レンズに変えて、覗く。
ダメだ、届かない。もっとこっちに来いよ。頼むから来てくれ。
だが最果てで願いが叶う事はない。そりゃそうだ。でもヤツらを確認出来てるのは、この俺1人だ。
帰り道を急ぐ。こんなに時間が過ぎるとは思わなかった。仕事があるというのに、まいった。道を歩きながらburialのstreets haloというアルバムをかけた。
この道と風景が音楽を聴くのは久しぶりなはずだ。
音楽をかけたからといっても何一つ呼応しないのはよくわかっている。しかし4キロも歩いたのだから、重い足取りを少しでも軽くしたかった。
フェンスが落ちかけてるトンネルまで来た時に、人間の世界に帰ってきた気分になった。それが良いことかどうかはその時はわからなかった。
先ほどまでイルカが4、5頭泳いでいるのを見れたわけだから。海面でそれだけ確認できたという事は、おそらくもう少しいたのだろう。
長万部から室蘭の間ほどではないにせよ、日本海側でもイルカは確認できる。だが早朝ならまだしも、ラッキーだった。
写真に何枚か撮ったが、確認してもわかるレベルではなかった。今年は夏にイルカの群れを撮る事を誓った。
もっと奥に歩いていけば、まだ何か撮れたろうか?そんな考えがよぎる。
いずれにせよ、この道に、この場所に、この地にいるのは俺一人だ。
そしてこれから後にも先にもそれは変わらないだろう。これから先もこの道を、この場所を、この地を写真を撮り続けるのは俺1人だろうから。
108.冬を往く 写真
幸運にも爆弾低気圧の被害はなかった。全国各地で猛威をふるったみたいだが、なんとも重たい年明けだ。
低気圧が来る前に、行けるところには行っておこうとある場所に行った。おそらく写真撮影を趣味としてる人ならば、誰もがこんな場所に行きたいだろう。
無論、写真を撮りながら、1人でその先に行けるかどうかは、試される事になるのだけど。
ここから先は立ち入り禁止区域。かつての道路がずっと続く。
釣りを楽しむ人はたまにいるし、2人ほどサクラマスを釣りに来ていた人がいた。
俺もかつてはよく来てヒラメなどを釣ったりしたが、基本的に好んで来る人はいない。夏は熊もよくいる場所だ。
その廃路を歩く。すさんだ風と、荒ぶる海の波の音が、景気良くお出迎えしてくれた。
だが切迫感がとても好きだ。カメラをかまえる。
破壊された道を乗り越え、細いトンネルを抜けてゆく。
トンネルの中でカツーンカツーンと靴音が響くにつれて大事な何かを落としていくような気がしたし、戻った方がいいのではないか、というささやきが脳内で響いた。
おそらくキツネであろうその足跡がずっと続いていた。エサなど何もないのはわかっていながら、それでも飢えには叶わず、さまよっていた。
2キロは歩いたろうか、人も通らぬこの道を歩いていると、カモメが警戒しながら頭上を飛んでいく。誰も通らぬこの道に、一体何をしに来たのか。カモメは飛びながら確認していき、向こうに消えていく。
果ての風景は荒んでいく一方で、人間が暮らしていくのは困難だというのが、マイナス10℃の気温を乗せた凍てついた風と荒ぶる海の波の音で、実感できた。
手が寒さで思う様に動かなくなってくる。吹く風が頭の中にまで染み込み、痛みが走ってくる。しかし何故かそれでもこの果ての向こうに行ってみたい衝動は抑えきれず、歩みを止める事はできなかった。
息を切らしながら歩いていくと、向こうの海にカモメが飛び回っていた。
それはささやかな予感だった。
歩を進めた。
107.雪化粧が落ちる前に。
急いで仕事を終わらせねば。でなければ雪化粧が落ちてしまう。少しの焦りと、どうやって写真を撮ろうかとばかり考えていた。
太陽の光が眩く地に射した時から1時間もせずに雪化粧は落ちてしまう。これまで何回も何十回とも撮ってきたのだが、やはりその瞬間は撮りたい。
笹やぶを歩いた時に、思いっきり腰までぬかった。素手で脱出を試みて、もがけばもがくだけ深くぬかっていった。なんとか抜け出したが、手は寒さで痛く、凍えた。もう一枚、もう一枚と思いながら写真を撮った。気づけば15分で終わる予定がすっかり40分以上撮影していた。
雪跡に残した歩いた足跡は、行くあてもなく彷徨っているかのように見えた。
今日、爆弾低気圧が通過して北海道並びに全国で大荒れの天気になるという。そんな風には見えない美しく穏やかな朝。
儚さを伴った美しい風景の中で、あるいはこの冬の日々に生を求めて、彷徨う。