一ヶ月前になるか、スキー場で子供と遊びに行った際に見た、一コマだ。
踏み固められた雪上車の跡の上に残った足跡は、頭のおかしい俺を夢中にするには充分だったw。
ちょっとしたファミリー向けコースで、小高い丘を登る。その時に、どういう構図で撮ろうか確認して、子供が安全に滑り降りるのを確認した後に、一瞬のスキを見計らってiPhoneで撮る。
1次元の時間という逃れられない上を足跡をつけて。そんな事を想像させてくれた。
息子が滑ったソリの跡と雪上車の跡を見ると、交わる部分は同じ角度同士になる。暑い時にあおぐ扇子が全て同じ角度というのと同じように、こういう事は瞬時にわかる。
頭が良いというわけではない。
むしろ文字を書いたりする事は小学2年まで出来なく、苦労が絶えなかった。テストが恐ろしかったものだ。
ただ違う風景を見ていた。
足跡につられて上に向かって歩いた。どんどん違う世界に引き込まれていく。その跡が消えたところに、時間に縛られないラインが美しく残っていた。
iPhoneを向けて写真を撮ろうとした瞬間、息子の声が聞こえて、我に帰った。
帰りに自分で作ったヨハンヨハンソンのプレイリストをかけた。
女性の声のあとに、メロディーが浮き上がってくる。音に合わせて思考が漂う。
ふと見ると息子はぐっすりと寝ていた。
少し笑ってミラー越しに息子の寝顔見ていて、ふとある映画のセリフを思い出した。
親は子供の記憶の中で生きる。
その意味を噛みしめる。一瞬だが、ずいぶん時間をかけてここに辿りついたのかもしれない。
すれ違う程度だが、それは長い一瞬だ。
メロディーが、俺を呼びかけてくる。