5月18日の晴れた日。
地区の会館に人知れず綺麗な白いチューリップが咲いていた。毎年撮ろうと思っていても、気づいたら終わっていたりしたので今年は忘れまいと写真を撮りにいく。
あらためて見るとフワリとした美しさがある。儚さが風に揺れて、刹那的な気持ちにさせられる。
たたずまいが絵になっていた。風が吹くとこちらの期待通りの揺れ方をする。おどけていながらも、目立とうとしない程よい揺れ方というか。
夜になるとどんな風に見えるのかが気になった。
夜になって会館に行く。何も悪い事はしてないのだけど、車を止めて一人でで写真を撮ってるのはどうも具合が悪い。完全に不審者だw。
チューリップの花を撮りにきた、と言っても何言ってんだと言われるだろう。そう思いながら写真を撮ってるとやはり集中力できなかった。早く撮ることばかり考えてしまう。
しかも街灯が明るくどの写真も明るくなってしまう。気持ちが落ち着かないまま写真を撮っても明るすぎて雰囲気がない。
ただその時にふと気づいた。白いチューリップも良いが、会館の壁も真っ白でチューリップのシルエットがとても美しく見えた。
昼間でも同じだった。チューリップだけではない。この白い壁がチューリップの美しさを際立たせていたのだ。
その壁は余白だ。充分とのびのびした隙間がある。その余白が美しく感じた。
満足できる写真ではなかったけど背景がどのような色なのかもっと意識しなければと思った。
帰ってきて庭を見る。せっかくだから庭のチューリップの花を写真で撮ろうと思った。星と一緒に撮れないかと思ったが残念ながら曇っていてあまり期待できるようなものではなかった。
すると枯れたチューリップが隣に咲いていた。その枯れてる様が絵になっていた。
春の一番手として咲き、最低気温が2℃くらいの時でも成長するたくましさ。故にその一生は短いが、命がなくなって白くなっても、その姿に惹きつけられた。
次の日、赤色の花びらは地面に落ちて、その命は大地に還った。